かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

武雄市長の発言はアナログ信仰を崩壊させる危険がある。

少し以前から、佐賀県武雄市の図書館が話題になっていますね。

図書館をツタヤに委託を計画したり、スタバ出店が決定したり。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2204442.article.html

波紋広げる武雄市図書館のツタヤ委託計画 - 佐賀新聞の情報サイト ひびの

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120815-OYT8T00307.htm

武雄市図書館にスタバ出店へ…佐賀 -  : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

公共・民間的な視点や、Tポイント・カード導入計画から法的な視点などツッコむ切り口は多数あると同時に、暫時的に有意な実績と反省が残しつつ、革新を産み出していけばいいんじゃないかなー? と思いながら温かい目で見守ってきたわけです。

 

でも、市長さんの発言でボクは一気に冷めてしまいました。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2287599.article.html

「筆跡から特定」苦情 武雄市図書館アンケート公開 - 佐賀新聞の情報サイト ひびの

「 樋渡啓祐市長は「注目度も高く、議会で“やらせアンケート”と批判されたこともあって、信頼性、透明性を担保するためそのまま公表した」と公開の意図を説明。「筆跡では個人は特定できないので問題ないと思っている。実名で載せたのは見落としで申し訳ない」とした。今後、意見を聞いて1週間後に判断するという。」

 

ボクは、けして「筆跡で個人は特定可能である」という技術的根拠を述べて批判したいのではありません。筆跡というアナログな証明手段のある時代を生きてきたはずの樋渡市長が、筆跡を否定することでアナログへの信仰を捨てた事に対して、ボクは苦言を呈したくなるのです。

ボクがそれまで武雄市図書館のあれこれを温かい目で見てきたのは、図書館という非デジタル(アナログ)の象徴の空間に、「Tポイント・カード」というデジタルの象徴を持ち込もうという動きに、(手段としての評価はどうであれ)情報を学ぶ者としてワクワクした、というのが大きいのだと思います。

ここで信仰という言葉を詳しく説明します。例えば、筆跡は本人証明のための一つの手段であり、サイン・署名では効力を持つものですが、それでも「ただ紙に名前を書く行為」に過ぎません。それでも私たちがサイン・署名を信頼して日常生活の諸事に用いるのは、私たちの間に筆跡に対する一定の「信仰」があるからだと推測します。もちろん、「筆跡」だから無条件に信じる、という意図での「信仰」ではなく、「みんなの間で合意された慣習」という意図での「信仰」のことです。アナログ信仰とは、筆跡のように紙に書くアナログ的証明方法に対する信仰のことなのですもっと抽象的に表現しやすい言葉を使うと「道徳」です

すると、樋渡市長のアナログを否定する発言からは、同時にデジタルへの盲信的な考え方を感じられないでしょうか。「Tポイントカードを導入すると市民へのサービスがよくなるかもしれない!」というより、「とにかくTポイントカードを導入すればいいんだよ!」という幻想に取り憑かれているように見えないでしょうか(もちろん前者も少しリスクがありそうですが)。

もちろん、武雄市図書館が新システム導入で良くなろうと悪くなろうと結果を残していく事は大事ですが、あのような発言をすることは市長さんの立場的にまずいのではないでしょうか?その一方で、あの発言は私たちにアナログ信仰に対するメタ的な問題提起を投げかけ、アナログ信仰そのものが崩壊して私たちの生活を変えてしまうのではないでしょうか?

 

(この記事ではこれ以上書きませんが、アナログ信仰の崩壊は、それを土台に築かれたデジタル信仰の崩落を引き起こす危険性があり、武雄市図書館の問題はそういう意味でちっぽけなようで実はどでかい問題のようにも思えるわけです。議論の伸びしろがありそうですが、ここまで。)