かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

Twitterの内面セキュリティ・ポリシーと内面共有の役割

Twitterで飲酒・喫煙その他軽犯罪を告白して、リアルに影響が及ぶというのは、それ自体当たり前のことですよね。その影響とはおおむね社会的地位・名誉に関わることであって、むしろそこに注意が行き過ぎている印象もあるんです。

具体的には、自分の物事に対する思想や信条(「信号は青になってから渡るもの」「女性がいても下ネタは少しは言う」レベルで)を、ソーシャルメディアに放った発言から拾われるリスクもあって、これはどちらかと言えば内面的な問題です。社会的影響が外面的・ハード的と形容するならば、内面はソフト的とでも言うのでしょうか?

ボクはTwitterで「すねお」と名乗っていますが、リアルでも「『すねお』と呼んでくださいと」言いますし、在学している環境では「すねお」が通称のひとつとして成立しています。(もちろんTPO的に本名を名乗るべき場面では使い分けをしています)

Twitterは基本的に勝手に友達になってくれてもフォローしてくれても問題ないと思っていますが、ボクがつぶやく文章が、ほぼそのまま第三者のボクに対する感想になるわけです。そこで、「これだけは絶対に誤解されたくない」「個人的にネット上に晒したくない」と思う内容はつぶやかないことにしています。(Twitterでは「公式RTしない」ことも含まれます)

具体的には、

  • 軽犯罪
  • 平然と下ネタを含む内容
  • ネタ・冗談で済まされがたい過失

です。

まず、どんなアカウントであれ、それなりのツイート数があれば基本的に特定されるものだと思います。フォロー・フォロワー・登録されているリスト・登録しているリスト・お気に入りなどは、非公開アカウントでない限り誰でも見れます。誰でも見れます。特定を指摘されて逆上しても意味がありません。(指摘する方も指摘する方ですが)その上で、法律に触れる発言はすべきでないというよりは「しないもの」です。

下ネタは、厳密に言うと笑える場合と笑えない場合があって、前者はくだらなさ、後者はふてぶてしさが存在していて、その解釈は人によることはあっても、最低限人に気を遣うという意味で言わない事が得策だと思っています。

ただそれでは解決できないのが、女装趣味です。「別に偏見を持たれようと持たれまいと」という次元ですら女装について問題意識を持っていないのですが、人によっては性差別的とも解釈できないとは限らない女装趣味は不快感を伴うこともあるでしょう。しかし、これはいわゆる例外であって、揺らがないエゴによって解消されるものだとボクが勝手に決めつけています。つまり主観的基準によってできた例外です。

最後に、ネタ・冗談で済まされないというのは、グロ画像および一般的に不快かもしれない内容や画像、URLを含むものを指します。説明する必要すらないと判断したので説明はありません。

 

さて賢明な人は「この人は当たり前の事を並べ立てているだけじゃないか」「常識について自分を主、みんなを従とするタイプの人だな」と思っているでしょうし、正解でしょう。なぜならボクは「客観的であること」と「一般的であること」を混同しているからだと思うのです。ここでさらに「客観的であることは一般的であることか」という命題が現れています。ボクはTwitter(の一定の条件下)においてこの命題は成立しないと考えます。またの機会でこの話題の続きを書く時、それについて書こうと思います。