かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

二次元を主張する小説こそがライトノベルである。

読書で黙読をする時、頭の中で文章を反芻すると思いますが、その時どんな声が頭にエコーしますか?自分の声ですか?小説ならば語り手のキャラクターの声ですか?評論ならばNHKのナレーターのような声ですか?すべてにおいてはっきりと断定不可能ですが、少なくとも小説ではキャラクターの声が意識されるのではないかと思うのです。

よく熱心なアニメ・ラノベファンは、「このラノベがアニメ化されるなら、このキャラクターは花澤香菜で、あのキャラクターは杉田智和で…」とメディアミックス予想をすることがあります。彼らの中では、ラノベを読んでそれぞれのキャラクターに持った印象から、それに合致する、うがつ声優を考えるわけです。その意味で、ラノベ・アニメファンの人々は、ラノベを読む時はアニメ脳(けして揶揄する単語ではないです)で読んでいると想像できます。

一方で、大衆小説が映像化されることもしばしばあります。ドラマ化・実写映画化など、主にリアルな想像に置換されることがほとんどでしょう。もしもラノベがいきなり実写化されたら、違和感や嫌悪感を抱く人々は間違いなくいるでしょう。その理由は、そのコンテンツへの想像形態が、ラノベとそれ以外の小説で異なるからです。

よく、ラノベの物語世界は紙の上に展開される空間として「二次元」という言葉で表現されます。しかし、同じ紙の上の世界でも大衆小説の登場人物が「二次元」として捉えられることはそんなにない気がします。もちろん、二次元的な視点でそれらを読む事が可能ですし、読書形態・想像視点の一つとして一般化すれば、あらゆる小説は二次元的解釈可能性を持つことになります。

しかし、ここに線を引くならば、小説そのものが「これは二次元的な物語ですよ!」「これを二次元の眼で読んでください!」と二次元的解釈を喚起する・アノテートするメッセージを持つ小説こそが、ライトノベルではないでしょうか?ライトノベルは表紙・挿絵などで「キャラクター」の想像を前面に押し出し、読者は二次元的視点で物語を読み込む準備をします。読者はまず視覚世界を表紙、挿絵で初期化するのです。

 

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