かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

『学習マネジメント』を受ける学生に伝えたい学習の考え方。

2年前から新カリキュラムとして導入された情報学部1年の必修授業『学習マネジメント』。これから受講していく一年生に伝えていきたい事を今日は書きます。

高校生までは学校カリキュラムに沿って学習をしていましたが、大学以降の人生では、研究、仕事、資格、趣味など折にふれて学習の必要に迫られる場面が存在します。その時に応じて自身で学習計画を立てて管理する、マネジメントできる。その意識を植え付けようという趣旨であると、僕は理解しています。

現在僕は情報社会科の半分を担当する吉田先生のクラスのTAのボランティアをやっています。全15回に渡る授業の前半と後半で2つのテーマを立てて議論と研究計画・発表計画をしてもらう構成になっています。前半では「日本の大学の問題」を共通テーマに、入試制度や大学格差、役割の歴史の変遷などの個別テーマを各チームで決めてもらって学習を進めてもらっています。

この授業、僕も去年受けました。必修ですから。その時は情報科学科の松澤先生クラスで、前半は主に協調学習をテーマに色々な学習方法を実践して、後半はテーマを決めて学習するグループワークをやりました。その時、「学習」というものにもやもやっとしたものを感じていました。それがどういうことなのか最近気付いたので、書き残しておきます。

僕が『学習マネジメント』を受講して行ったグループワークでやった「学習」というのは、「提示されたテーマには既に回答になりうるデータや素材があらかじめ絶対的に存在していて、それらを上手に集約してテーマに応えうる内容を再構成・表現すること」だと思っていました。

つまり、「地球温暖化をテーマにします」と言われた瞬間、「地球温暖化といえば温室効果ガスが原因であと影響があったよな、そのデータを探して資料を作成して、上手に説明できれば完璧だな!」という思考に至るわけです。でも、これは『学習マネジメント』が求める学習ではないことを、今の僕はよく知っています。

模範としては、「地球温暖化と言われ始めたのは2000年過ぎたぐらいだけれど、実際いつ頃からメディアで言葉が広がり始めたんだろう。地球温暖化自体はいつからあったんだろう。環境問題の程度に応じて、メディアはどのように反応してどのように報道するんだろう。酸性雨とかダイオキシンとか、あと昔の公害とかどうなんだろう。すると、環境問題をメディアの視点で分析できるんじゃないか?」というのが一例だと思います。

※模範って言いましたけど、あくまで一例です。でもテーマが悪かったのかこれ以外の視点での例が浮かばない。すまぬ。

つまり、与えられた学習テーマに対して既存の知識群を用意して満足するのではなく、特定の視点や思考のフレームで観察すると発見できることがある、と考えるのです。よく「多角的な視点」って言いますけど、それはある程度テーマの視点を絞った上で、その方法論について多角的な考え方を持とうとしてるんじゃないか、と感じます(すべての研究方法論を知っているわけではないので断定できませんが)。

あと、授業でグループを観察していると、設定したテーマに対して完璧な答えを出さないといけないと思い込んでいる学生さんがけっこういるようです。もちろんテーマの「問い」を満足する答え出せる事が理想目標ですが、完璧な答えというものはなかなか存在しません。その時は、考えられる対策や提案の中で比較して、グループの意見に沿うものを選びます。満足できなかった部分については、そのテーマの「今後の課題」となるのです。そこで生まれた今後の課題を、また他の誰かが研究を繰り返していくことで、その分野の議論が成熟していくのです。僕たちの世代は「ゆとり」と言われながら「完璧であること」もまた暗黙のうちに求められてきたため、ここを理解することがひとつの大きなヤマだと思います。

『学習マネジメント』を受講する人に伝えたい事は以上のようなものだと思います。TAのすねお(と授業内では呼ばれている)でした。

(11/01・追記)

情報科学科と情報社会学科でそれぞれ2つずつ分かれて合計4クラスあって、4人の先生が授業を担当します。開講当初は方針がおおまかに揃っていましたが、今はそれぞれの先生の志向を取り入れたものになっています。最初の「大学以降の人生で~」のくだりも吉田先生の『学習マネジメント』の趣旨を捉えたものです。あと、テーマに対する姿勢の記述を読むと分かる通り、卒業研究に向けた「研究」の姿勢を学ぶ機会のように感じますね。ですから『”研究”マネジメント』と題目を改めるのが正解かもしれません。