かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

国立進学志望する上で工業高校で苦労したこと。

今でこそ国立大学に受験成功した事後なので安心してますけど、

工業高校時代は色々悩んでいました。そのへん、ちょっと書いておきます。

 

工業高校を選んだ理由

15歳時点で未熟過ぎる性格・知識だったことと、

義務教育までの知識は一体何だったのか、という疑問の解が欲しかったのと、

情報系の知識が欲しかったことと、

この3点から、浜松工業高校の情報技術科(通称・Ei)を選びました。

 

静岡大学を選んだ背景

・経済的なリスク

家庭が経済的にヤバかったので、まず私立大学は候補から消えました。

県外もちょっと・・・っていう空気だったので、静岡大学を選びました。

というか、静岡大学しか無かったです。

(高校選びも、私立の選択肢は無かったですし、

国立の沼津高専も寮費が払えないことから諦めました。)

・学力的なリスク

工業高校では、普通科目と専門科目の両方の授業を受けます。

そのため、普通高校の学生よりも圧倒的に普通科目の学力に劣りやすいです。

浜松工業高校は就職・進学が半々で、進学生徒へのサポート体勢はあったものの、

一般入試でセンター試験に挑戦するには若干厳しいものがありました。

それに、1年次からセンター試験を受けるかどうかを決意しにくかったですし、

中途半端な状態に戸惑いつつ勉強していた高校生活だったと思います。

結局、入試の選択肢は推薦入試とAO入試でした(AO入試で受かりました)。

 

工業高校での不満

・両親との対立

当時入部していた「情報処理部」は、C言語プログラミングを覚えて、

年2回の学生プログラミングコンテストパソコン甲子園情報オリンピック)に

参加する、また、自分で技術を習得して個人制作するのが主な活動でした。

入って3ヶ月ほど、上級生の「授業」によってC言語を学習して、

与えられた「課題」を部活終了時間(だいたい6時か7時?)までに解くのが通例でした。

しかし、両親としては受験を控えている子供が勉強時間を割かれるのが不安らしく、

よく帰宅時間の事で揉めていました(10分で通学可能でしたけどね)。

・個人用PCがない

2006年、中学2年当時からニコニコ動画にどハマりしていた結果、

家庭内のPC利用に制限がかかりました。と言いましても、生活習慣が

ぶっ壊れていたわけでは無かったので、本当に問題だったのかなぁと思うところ。

それで、情報系の学科進学にあたってPCをどうするか問題があったんですけど、

この辺りは両親とのコミュニケーション的な失敗だったと思います。

個人用のPCが存在していなかったので、当時のクラスメイトとの

連絡交換手段としてメジャーだったSkypeも利用できませんでしたし、

携帯電話もパケホーダイではありませんでしたし、単純につらかったです。

もちろん、両親が自宅で自営業をしているため、インターネットの利用で

ウイルスみたいな脅威が心配だったのは理解できましたけれど、

それで失われたものの方がとてつもなく大きかったと思います。ふぁっく。

工業高校での苦労の大きな要因だったと思います・・・。

 

結局、何がいけなかったのか?

・戦略的失敗

以上を要約すると、ボクは高校生活の戦略決定に失敗したんだと思います。

部活でプログラミングの実力を上げるのか、あくまで成績を首位にするのか、

高校生活を送る上での上位の行動決定方針(戦略)がぶれまくっていたのです。

一応、個々の場面では成功していたのかもしれません(戦術・技術)が、

全体としてズレが発生していて、高校生活を終えてから自分が何を

達成できたのかすら分からないままだったのが、一番の後悔です。

 

とりあえず現在

えー、とても自由です。

自宅は大学から5,6キロ、自転車で20分程度、

寝床・風呂・たまに食事する程度に利用。

カタンできる人、随時対戦相手を募集しています。