かすてらすねお。(hateblo)

見聞録的ななにか。

暗記法について思うこと。


試験勉強しているとしよう(というか今してる)

 A, B, C, D, E, F, Gを覚える必要がある。A, B, C, D, E, F, Gをそのまま覚えてもいいけど、知識が知識のまま記憶されて応用される気配がない。もしも、記述式問題が出たらどの知識をどのように使うのか分からずに太刀打ちできない。個々の知識そのものは理解しているので、理解の断片がつぎはぎにくっつけられて文章としてはそれっぽいんだけど、納得しかねるものになる。その違和感は本人が一番味わうし、目をつむる場面になる。

 A, B, C, D, E, F, Gをより記憶に残し、全体として理解を深めたいのならば、そしてその後もその知識が応用されうるようにしたいのならば、A, B, C, D, E, F, Gの各要素がどのような分類・系統に分けられ比較されるのか、その特徴はなんなのか、どの要素がどの要素に所属する、あるいは所有するのか、自分の頭に系統木を生成する必要がある。これがその知識体系をおおむね納得するための方法だと思っている。方法論だとすら考える。

 だから、音読を繰り返す、写経を繰り返すなどする暗記方法には眉をひそめざるを得ない。たしかに試験の時間に記憶が最大化されればいいかもしれない。労して理解を求められる必要はないかもしれない。

しかし

 その知識体系の系統木を繰り返し生成する練習をすれば、ある知識体系に出会った時に、既に経験した系統木を適用できる事に気づきやすくなるし、理解・記憶のコストが減る。これを知識のアナロジー(比喩)と呼んでいる。頭の回転が速いとは、このスキルの高いことだと考えている。

現実問題として

 学生には時間がない。お金のない人はバイトをする。課題が難しければ徹夜をする。学生自身の学習効率や能力が低いかもしれない。知識系統木を大学で学ぶすべてに適用するのは難しい。自分にとってこの先有用になりそうな講義を見つけて実践してみるのが好ましい。慣れればすべてに適用できるかもしれない。時間がなければそれまでだと思う。

念のため

 講義が終わったらすべてが終わりではない。講義は自分に学ぶことを強要しないし、止めもしない。自分が学ぶときに学ぶのだと思う。