かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

住宅と文化、まちづくり

山手町の外国人住宅を見て、自分は近代が好きなんだなぁと気づいた。
数日前に読んだ『のび太の創世日記』にも近代国家が出てきて興奮した。
興奮の対象は主として建築物だ。現代の建物はあまり興奮させてくれない。
たとえばニュータウンとか造成地の建売や分譲地の住宅街は興奮しない。
「誰でも受け入れる」住宅だから無思想になるし「何も押し付けない」。
代わりに住居機能をスマートに提供する。これだと西欧合理主義的っぽい。
しかし、山手町の外国人住宅は現代住宅と一線を画して主張的である。
実は現代住宅も「押し付けない、多様性を承認する」という意味で思想的だ。
じゃあいいじゃないか、といえばそうもならない。問題のスケールは町へ。
ニュータウンのように「新しい町を作れば勝手に文化が生まれる」のか?
Noだ。出来合いの住宅を選び、環境改善を放棄した住民に文化は生めない。
何も生み出せない環境は最悪だ。最低限の合理化された自治体制を残して。
何も与えることができないのなら、何かを受け入れてみたらどうなんだ。
なあに、だめなら改造すればいいんだ。楳図かずおみたいに派手に。
多様性を承認すると言いながら個人の行動に口を挟むのが現代らしいけど。

極端な話だけど、住宅が町づくりに影響するのは十分有り得ると思った。
山手町を観光した後の大まかな感想としてはこんな感じです。