かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

「情報」から全情報的なものへ

 

人間が一生のうちにアウトプットする情報量って、例として一般人と研究者では相当な差があるように思われがちでしょうが、ボクは同じでないかと思うのです。

そこに差が感じられるのは、もちろん、論文誌だとかポスターだとか、目に見える何らかの媒体を用いているか、という指摘があるでしょうけど、私達が「情報」という言葉に何らかの有用な価値を意識して用いている、そう思うんですね。

何よりボクが強調したいのは、「情報」という言葉を用いることで、相対的に価値を認識されないものとの分節が起こりえるということなのです。

一般人は、そうですね、独り言をつぶやくですとか、猫に向かってしゃーってポーズをとったりですとか、他人と会話するですとか、生活の中で起こす非永続的(そのままでは記録されない)な行動が大半でしょう。

ここに目を向けないと、人間の生み出すすべての情報量は正確に測れないのではないか?

対象や視座をずらすという試みは、70年代ヨーロッパ文化研究の「カルチュラル・スタディーズ」を思い出します。知識人や有識者の消費する文学・芸術などのハイ・カルチャーだけでなく、一般大衆の消費する映画・広告などのポピュラー・カルチャーへ。これは、カッコつきの「文化」から、全文化的なものへの移行だと考えています。

 

という感じで、近頃は人間と情報の関わり方に大きな興味と関心を持っています。しかし、これがどのような分野に該当するのか、検討がつきかねています。きっと誰かが取り組んでいる内容だとは思うんですけど。認知科学あたりかなぁ、とは思っていますが、特にどなたが、まではわからないんですよね。

本でも借りるかねぇ。