かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

なぜ佐倉未来はガラスを海に喩えたのか

こんにちは、すねおです。先日読了した『キャラの思考法』に、『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』(2002)第40話「どれみと魔女をやめた魔女」に登場する魔女・佐倉未来とガラスの関係について触れられた文章があります。

 

キャラの思考法: 現代文化論のアップグレード

キャラの思考法: 現代文化論のアップグレード

 

 

この文章では、著者・さやわか氏は細田守のガラス表現についてキャラクターの関心から興味深い考察を行っているのですが、まず私に思い出されたのは、2013年に受講した静岡大学の学際講義「こころの深層」でした。

 

 

奇しくも、この講義は今春「アニメを見る講義」としてネット上でバズりました。そして、2013年に開講されたこの講義の第8回では「どれみと魔女をやめた魔女」を視聴し、作品について自由に論じるミニレポートが課されました。

このミニレポートは、講師である太田裕一氏が毎回「優秀レポート」を選び、寸評を述べた後、本人の専門分野である臨床心理学系の論文の抜き刷りやコピーを受講生の前で手渡してもらえます。つまり、これは名誉ある晒しでもあるのです。

ボクは課題に意欲的かつ目立ちたがりでしたので、毎回気合を入れて書いたのを覚えています。だからこそ、『おジャ魔女どれみ』シリーズ自体はまったく視聴した経験の無い自分にとって「どれみと魔女をやめた魔女」は印象深い作品なのです。

懐かしくなってPCを漁ったら当時のミニレポートが出てきたので、加工・修整せずに掲載してみます。これでミニレポートもらったので、将来受講を検討している後輩には参考になるかもしれません。提出時の原題では「佐倉未来」の苗字を省略したので、そこだけ補っています。

 

なぜ佐倉未来はガラスを海に喩えたのか

 どれみが帰り道を遠回りして通るシーンには、水の入ったペットボトル、金魚鉢、理髪店のポールのガラス球、引き戸のガラスなどといった光を屈折する物体が散りばめられている。どれみが辿り着くのは、魔女をやめた未来が営むガラス工房である。引っ越したばかりという未来に街案内をしたどれみに対して、未来はどれみにビー玉を送り、こう説明する。

「ガラスってね、冷えて固まってる様に見えて、本当はゆっくり動いてるのよ。この海の水みたいにね」

「ただし、何十年も何百年も何千年もかけて少しずつゆっくりと。あんまりゆっくりなんで人間の目には止まってる様にしか見えないだけ」

 どれみは未来との出会いを通じて、魔女の生き様を垣間見ることになる。三面鏡にまんべんなく貼られた手紙と写真は、魔女である未来が過ごしたであろう時間を考えれば少ないのではないだろうか。若い青年が90歳の老人になるまで少なくとも二世代が交代し、未来もそれに合わせて世界の各地を転々として人間との出会いと別れを繰り返しているはずである。それと同時に彼女は多くの人間の死に対面してきた。

 ここでガラスの話に戻る。未来はガラスがゆっくり動いている様子を海の水に喩えているが、ガラスは粘性が非常に高い液体であるが、結晶化しない固体に対して「ガラス状態」という定義が与えられているだけであり、ガラスは本質的に固体である。それに対して海は液体であり、未来は海水の対流を指してガラスを海に喩えようとしているが、対流とは温度差のある流体に発生する現象であり、ガラスには発生しない。長い人生を送りガラスの知識を蓄積しているはずの未来が、その事を知らないはずがない。それならば、彼女はなぜガラスを海に喩えたのだろうか。

 それは、ガラスがゆっくりと動く様子が彼女には人間の生死と重ねられたからである。ガラスを海に喩えたのは、海水の対流と生きている人間の血液の循環を重ねているからである。多くの時間を過ごして多くの人間の人生と死を眺めた彼女にとって、ガラスは人間の生き様を表しているのだろう。工房の中に飾られているガラス作品は、写真には収めきれなかった人間を象徴しているのである。赤、青、紫、黄色、緑のビンが映るカットがあり、それもまた魔女見習いの五人の人生を暗示するものと思われる。

 やりたい事が定まらず、ガラス作りを始めたどれみに対して、未来は力加減によってグラスにもお皿にもなると説明し、「あなたどうしたい?」と問う。最終的にどれみが納得して完成させたコップは、どれみの人生の決定(この話では、未来について行かない=魔女にならないということ)を表している。未来の工房に辿り着くまでに映ったガラスの数々もまた、美空町の住人の人生のメタファーなのである。

(992字)

 

今読み返すと、めちゃくちゃ読みにくくて恥ずかしいですね…。特に三段落目の接続助詞「が」の繰り返しなど今の自分なら絶対に許さないセルフ文法チェッカーマンです。そこで、意味がよくわからなかった人向けに、修整した三段落目を書いてみました。ただ、ここのロジックをすっきりと表現するのにはやっぱり骨が折れました。

 

 ここでガラスの話に戻る。ガラスは粘性が非常に高い液体であるが、結晶化しない固体に対して「ガラス状態」という定義が与えられているだけであり、ガラスは本質的に固体である。未来はガラスがゆっくり動いている様子を海水の対流に喩えているが、海水は液体であり、また、対流とは温度差のある流体に発生する現象であるため、ガラスには発生しない。長い人生を送りガラスの知識を蓄積しているはずの未来が、その事を知らないはずがない。それならば、彼女はなぜガラスを海に喩えたのだろうか。

 

とまあ、出だしから話は大いに逸れまくってるのですが、皆様方にお伝えしたかったのは、「どれみと魔女をやめた魔女」に触れられた文章を収めた『キャラの思考法』も一読に値しますので、お年玉でぜひ買って読んでみてくださいということです。すねおでした。

 

キャラの思考法: 現代文化論のアップグレード

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