2016-01-23:「SMAP物語に見る虚構という快感」から改題
分裂する相手のいないすねおです。さて今日自主ゼミでSMAP報道を話題にしたところ興味深い論点が引き出されたので、自分なりの関心からまとめて紹介してみたいと思います。
それは、SMAPの分裂・存続をめぐる報道に伴って生じた「キムタクループ説」に始まる虚構の物語は、それは単なる遊び心の産物として処理してしまえるものか、つまり、虚構の物語の生成力・想像力はある別種の物語への応答として生じることも考えられるのではないか、という問題意識があるわけです。
この問題意識に答えようとするなら、ある別種の物語とはマスコミが構築・提示したSMAP分裂・存続の物語であり、それが人々にとって違和感が残り、現実的な物語構築の困難さを悟った結果として人々がとった防衛機制こそ、虚構的な物語の構築、消費ではないか、という仮説を立てることができます。
わかりやすく言えば、SMAP報道はそれまでのゴシップのように事実関係がほとんどはっきりしないため人々は「誰か」に対してなかなか好き勝手言うことができず*1、マスコミもまたそれらしい物語を打ち立てられなかったことを隠すように、「突然分裂して突然存続する」などという綺麗かつ歪な物語しか提供することができませんでした*2。
そこで、人々は自分たちに馴染み深い「ループもの」「タイムスリップ」といった歪でしかし綺麗な物語構造を採用することで、虚構であることの苦痛以上に虚構としての物語を消費する快感を得ることに成功しています。また同時に、不出来なゴシップに付き合わされたことで現実としての苦痛をも乗り越えようとしているようにも見ることができないこともないでしょう。
このような戦略が苦痛回避と快感獲得のどちらを志向するにせよ、納得の行く構造のあり方を求めて人々を創作に駆り立てるところに、物語の想像力はエネルギッシュな可能性を持っているということを、今回のSMAPの話からは感じられたのです、というわけでした。
2016-01-23:追記
私個人の話をすると、ファンタジー・SF的な虚構を消費する虚しさを小さい頃からずっと感じていたわけですが(ドラえもん然りポケモン然り)、今回SMAPのことを話しながら、痛みを伴わない虚構の楽しみ方もあるんだな、と気付きました。
*1:一般に芸能ニュース、ゴシップの報道は、何らかの裏付けや証拠に対して主観的に感想が言える話題です。例えば「ゲスの極み乙女」の川谷絵音とベッキーの不倫疑惑では、問題とされていたLINEのやり取りと関係者の証言から構成された彼らの不倫発覚の経緯を知ることで、私達は「不倫はいかんでしょ」とか「川谷はゲスだったのか、残念」とか「ベッキーは悪くない」といった感想を自由に持てるわけです。
今回のSMAP報道においては、ジャニーズ事務所での具体的な騒動の経過がほとんど明らかにされていませんでした。また、メンバーの意向に関する記事は数日報じられていたものの、例えば同じ15日のスポニチと日刊スポーツの見出しを見ると、中居くんを取り上げる報道の方向性は真逆を向いているように見えるなど、統一性に欠けるものでした。
今のところ事実関係を明らかにしてくれそうなのは、メリー喜多川副社長のインタビュー内のジャニーズ事務所内の確執に触れた発言、ジャニーズ事務所の内部の揉め事の存在を認めるコメント、謝罪生放送の草彅くんの「ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて」という台詞くらいでしょうか。
*2:そういったことを踏まえても、今回のSMAP報道では事実関係があまりにも不透明なまま発覚から謝罪まで経過していったにもかかわらず不思議な態度を見せたのもまたスポーツ紙でした。13日~19日のスポニチ・日刊スポーツの一面見出し文のなかで特に注目したいのは、13日には「分裂」「解散」「独立」、19日には「存続」「回避」といった、断定的な表現が用いられています。
スポニチ
- 13日:SMAP分裂危機(「危機」だけ小文字)
- 14日:SMAP女性マネ 独立クーデター失敗
- 15日:SMAPやめたくない 中居後悔メール
- 16日:キムタク存続直訴
- 17日:SMAP分裂回避
- 18日:SMAP4人直接謝罪なし(「4人」「直接」は小文字)
- 19日:SMAP存続表明「ただ前を見て進みたい」
日刊スポーツ