かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

お葬式レポ

8時30分に起きた。眠気が酷くて起きていられるか心配だった。朝9時15分に家を出て15時30分には帰った。

http://tobifudo.jp/newmon/butugu/nari/nari.html

上のサイトを読むと,今日の鳴り物の仏具の組合せは,「引磬」(いんけい,携帯用の鐘)「銅鑼」(どら)「鐃祓」(にょうはち,シンバルっぽいやつ)で,引磬(磬は石の部分が金)→銅鑼→鐃祓の順に「チーン,ドーン,シャーン」を徐々にスピードを上げていくパターンが何度か繰り返されていた。

導師さん(葬式を担当するお坊さん)は4人いて,センターにメインボーカルが1人,サイドにサブボーカル兼シンバル担当,鐘担当,銅鑼担当が1人ずつ配置。はじめ,4人も必要な理由は,マルチスレッド化して長いお経の詠唱時間を短縮することだと思っていたけど,そうでもなく,単純に仏具の弾き手が必要だったからだと思う。

指揮も無いのに息はだいたいぴったりだったのは,センターのミニ磬子(ちーんってやつ)を中心にリズムを合わせているからだろう。メロディは音階で言うと「ミ」の音が基本で,時々「ファ」になる。サブボーカルがハモるときは下の「ラ」になる。なので,コードとしてはAmといった感じ。時々,1人だけ違う歌詞を唱えることもある。

しかし,なぜあのような抑揚の少ない詠唱なのだろうと思ってひとつ考えたのは,仏前の場においては,お坊さんの人間としての個性には価値がなく,極力自己主張をなくす必要性を追求した結果として平坦な抑揚に落ち着いたのではないか,という説。もう一つは,個人であるどころか人間であること自体に価値がなく,たとえば息継ぎが極端に少ないように,お経を淡々と詠み上げる「なにか」であることを追求した結果としてあの詠唱スタイルに収束したという説で,人間を辞めているという点ではボカロ曲歌い手っぽくある。そうだ,歌い手だ。

今回お世話になったイズモ葬祭の式場では電子ピアノの生演奏をしている。関係者に聞くと,式場の差別化を考えた結果BGMを流すのではなく遺族のリクエストに応じて弾くスタイルを採用したのだそうだ。弾き手を探すときはクラシックも演歌もポップスもおしなべて弾ける人である必要があり,実際にそれができる知人がアルバイトしている。葬式にピアノというと聞いたこともない組合せかもしれないけど案外雰囲気は出る。それにCDよりも曲の切り替えが手軽だし,人間の弾き味はそうそうAIに真似されないだろう。

伊丹十三の映画『お葬式』観たいなぁ。