かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

記録:「性同一性障害」概念の普及に伴うトランスジェンダー解釈の変化

出典:吉澤京助,2016,「『性同一性障害』概念の普及に伴うトランスジェンダー解釈の変化」『お茶の水女子大学ジェンダー研究所年報』(19), 193-202.

文書のURI

http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/19/19.pdf#page=193

 

問い:性同一性障害がすでにある程度認知されている日本で、トランスジェンダーという概念を新たに持ち出すのは何故だろうか」。

要約:吉澤によれば、トランスジェンダーとは「医療との関連が必須ではなく、割り当てられた性別に違和感を覚えている当事者をより広く指す」言葉であるが、日本である程度認知されている性同一性障害とは異なる。

吉澤によれば、性同一性障害とは「医療のための便宜上のカテゴリ」であり、その概念が「性自認や性別移行を個人的な嗜好のレベルから深刻な社会問題のレベルに引き上げるよう用いられてきた」と評価する一方で、「何らかの治療手段を用いれば性別規範に適合可能である人にとって有効なものと言えるが、規範に適合することを望まない人については包摂不可能」であるとして、性同一性障害概念がトランスジェンダーの当事者集団の間に序列化を生じさせていることを指摘している。

性同一性障害の診断がなければ『本物』ではないし、治療に真剣でない人、身体に嫌悪感がない人、異性愛でない人も、『本物』とは認めない」といった「GID規範」*1に従うことのできない人にとって、トランスジェンダーという言葉は「『GID規範』の中で半ば当事者性を失ってしまった彼/女たちが再び当事者として、異性愛規範に整合しないという自身のあり方を明らかにするツール」なのである。

吉澤は、こうした性同一性障害トランスジェンダーといった言葉の関わりの考察から、「一見すると当事者を解放する役割を担っている概念が、他方では別の集団の抑圧・不可視化に加担することもある」と指摘する。そのなかで、トランスジェンダー概念を「性同一性障害概念が生み出したある種の規範によって排除される人びとを包摂し、彼/彼女たちが抱える困難を可視化しうる」として有効であると評価している。

 

考察未満:自分はGIDではなくてジェンダーアイデンティティが男性から女性に移行したトランス・ジェンダー(自称するのは気が進まない)だけど、移行を悟ったあとに感じたのは、「女性になったんだから男性を好きにならなければならない」という規範に抵抗する自分の心だった。いっとき「人間はもともとセクシュアリティがなく、セクシュアリティを教えられるのにすぎない、だからいろんな人と付き合ってみないと自分のセクシュアリティは発見できない」と考えて、付き合う人の幅を増やしてみたけど、相変わらず女性が好きだった。あれが、GID規範ならぬ「トランス規範」とでもいうやつなのかなぁ……。最近の疑問としては、自分のなかに相変わらず残る男性性というか、生物的なオスのキャラクターのようなものの残滓をどう捉えればよいか、という問題で、これはそのうち機会があれば考えを整理して書いてみたいと思う。

感想:吉野靫の「GID規範の逃走線」は以前GIDの定義を探そうとして見つけ、使いやすい文がなかったので諦めた記憶があるので、こういう形で再会するのは驚きだったし、吉澤の論考の読後なら以前よりもより強い興味と関心をもって読むことができるだろう。

*1:吉野靫,2008年,「GID規範からの逃走線」『現代思想』36-3(2008-3):126-137,(http://www.geocities.jp/suku_domo/shiryo/Shiso3-yoshino.pdf,取得日: 2016年11月20日)