かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

トランス女性に「女装」という言語表現は適当か?

 女装という言葉は、男性が女性らしい服装を身に着ける行為として一般的に理解される。つまり、女装の主体は男性であって、見かけが女性らしいからといって女性に対して「女装している」とは用いない。

 では、筆者はどうだろう。筆者は男性として生まれながら女性として生きているトランス女性*1である。男性の肉体を持っているのならば、筆者は男性として「女装」しているのだろうか。女性を自認*2するならば男性とはいえず、「女装」しているわけではないのだろうか。

  筆者としては、自らの内面的な問題もそれはそれで大切であるが、さらに重要なのは、自らの「女装」という言語表現を受け取った人々に生まれる、自分に対する性別の認識である。かりに、一般通念上では男性を主体とする「女装」という言語表現を筆者が用いると、その表現を受け取った人々は筆者を「筆者は男性だ/なのだろう/かもしれない/…」と認識するだろう。女性を自認する筆者にとって、これは意図するところではない。自らが男性かどうかというより、男性と思われないかを気にしているのだ*3

 こういう事柄について、過去の記事で扱ったような本名や一人称のように一貫して折り合いをつけるのは難しい。恣意的で都合よく理由をつけているという自己批判も出来るが、なぜいちいち説明責任を負わねばならんのだという不満もある。それはやはり社会のなかで相対的に「異常」で、存在理由が不可視化されてきたからなのだろう。とりあえず、もうラーメンの画像付きで「女装しました」とツイートすることも無いと思う。

これは処方箋を券売機で購入してオーダー可能な薬局です。

*1:MtFともいい、様々な表現の仕方がある

*2:自らのアイデンティティとして引き受けているということ

*3: 類似した問題にトイレがある。筆者は肉体的には男性だが、男性用トイレに入るのを見た第三者が筆者を男性と認識することを避けるため、男性用トイレは利用しないようにしている。