かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

あるいは情報学に関する一考察 過去のレポートから

 先日、幣学部の岡田安功(やすのり)教授の最終講義に出席しました。「社会情報学との邂逅」と題された講義は、岡田先生が情報学に強い関心を持っていることがうかがえるものでしたが、それは自分と関心や思考を同じくするものでもあったように感じます。というのは、ほぼ同等の内容をM1のときレポートで書いたのを思い出したからです。
 当時(2015年)は西垣通の基礎情報学を読み、「情報学部」そして「情報学専攻」という自らの所属に懐疑を持っていた時期でもありました。この課題は、経済学の若手准教授が、学際性をコンセプトにしたオムニバス形式の総論的な大学院講義のなかで課したもので、この短いレポートはその一部です。この機会に修整を加えず掲載してみます。

 大学院においてこのような「直接関係ない分野」の講義があることに対する考えを述べてください(関係ある分野の研究をされている方は、内容そのものに対する意見をください)。

 問いの「直接関係ない分野」における暗黙の目的語を、「情報学ないし情報学のもとで行われる諸研究(以下「情報学」)」と仮置く。私の知る限り情報学について学生間や教員間ですらコンセンサスが取れていない現状では、「直接関係があるかどうか」という判断軸そのものが誤りではないだろうか。
 例えば、情報学応用論の講義ではあらゆる教員が自らの立場から情報学について迫ろうとしているが、「私が情報学の代表である」などと謳うものはひとつも見られないし、あくまで自らの学術的立場を借りて説明を試みているに過ぎない。そうであると同時に、それらの説明が全く情報学ではないとも言えない。この、唯とも無とも取れない「情報学」の定義や説明の困難性、曖昧性というものが、「情報学」の特質ではないだろうか。
 そして、言うまでもなく、講義に関しても同じことが言える。つまり、情報学を扱う大学院における講義では、情報学に「直接関係があるかどうか」という評価軸は適切でなく、情報学に「直接関係がありそうだ」という関係可能性が問われるのではないか。関係可能性という評価軸においては、経済学を扱う講義もこの大学院では意味を持ち始めると私は考える。
(答ここまで)

 いま社会学を学ぶ筆者にも、情報学との関係可能性を考えることは、大きな課題としてつねに立ちはだかっているように思います。それは、岡田先生が近代法の批判を徹底しながら「近代的知の再編運動」、近代的思考のアップデートを試みたのと同様、筆者もまた社会学という専門領域に真摯に向かいながら考えていく課題なのでしょう。

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