かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

【続・感想】『不可ぼく』第1巻を構成する2つのテーマ

この記事は,ひとつ前に書いた『不可ぼく』第1巻の感想記事の続きです。続きと言いましても連続で書いているだけであって内容に順序はございませんので,どちらから読んでいただいても結構です。ただし,第1巻を読んだ前提で書くのは一緒です。

それでは繰り返しになりますが,粉山カタ先生の『不可解なぼくのすべてを』という漫画があります。pixivコミックで連載中で,1話・2話と最新話が無料公開されているので,ぜひご覧になってみてください。この記事では,単行本1巻の内容を知っているという前提で話を進めます。

さて。この作品の登場人物は,自身の性別のあり方をめぐる願望を秘めています。「もぐも」ならば,他人に自分の性別を勝手に決められたくないし,女の子になりたいのではなく男の子から遠ざかりたいという願望でした。「めい」ならば,自分は女の子に生まれたかったし,男の子ではなく女の子になりたいので女の子の格好をしたいという願望でした。いずれも「性別の面から見て自分はどうありたいか」という問題ですし,前の記事で指摘したように「本人にとって『男の娘』であるということがどういう意味を持つのか」という作者の問題意識にも関連します。

そして,しかし,この作品が描こうとしているものはこれらに留まりません。次に列挙するシーンはいかがでしょうか。

・自分に彼氏がいることを教えた「鈴」に,「もぐも」が悪気なく「鈴はホモなの?」と尋ねるシーン。
・自分が男が好きかもしれないと気付いた時はどんな感じだったのかと,「哲」が「鈴」に尋ねるシーン。
・それを偶然立ち聞きした「もぐも」が,「哲」が困らないように女の子になれるよう頑張ってみると「琴音」に話すシーン。
・それを受けて「琴音」が「哲」に対して「あなたはもぐちゃんを『ゲイの道』に引きずり込む気なの!?」と責めるシーン。

このようにみると,『不可ぼく』という作品は,男の子が女の子の格好をすることによって辿り着く,数あるうちの帰結のひとつ,すなわち「男の娘」が男の子と付き合うとはどういうことか,描こうとしていることがわかります。そして,この問題は第1巻の最後において「哲」自身に突き付けられることになります*1

つまり,第1巻は,中盤までは「もぐも」「めい」の自身のあり方の問題に焦点を当てながらも,上述したもう一つのテーマが潜み,次第に顔を覗かせ,終盤にかけてシフトするという構成をとっていると言えるでしょう。

しかも,これらの次元の異なる問題が,登場人物たちの性をめぐるコミュニケーション行為の中へと,(漫画としての表現様式というレベル,登場人物同士のコミュニケーションというレベルにおいて)作為的に区別されることなく,とても自然に埋め込まれています。そのあまりのナチュラルさには驚かされますし,漫画というメディアのなせる表現でしょうし,何より粉山先生の技量なのだと思います。

私事ながら,筆者はこの正月にドラマ『古畑任三郎』をSeason1からSeason3までとスペシャルそしてファイナルまでイッキ見したんですが,映像メディアを存分に活用したさりげないヒント出しや視聴者の目と認識を欺くトリックには舌を巻きました。『不可ぼく』は「漫画『古畑』」だというと流石に言い過ぎでしょうか。言い過ぎました。

 

話を戻しまして,これから「男の娘」と男の子とが付き合うことをめぐって考えたことを書きたかったのですが,話題のまとまりとして別の記事にした方が良さそうなので,日を改めることにします。早い内に書けるとよいのですが。

ではまたいずれ!

*1:この続きにあたる第7話が読めてないので超気になるんですけど!? どう第8話まで進んだの!? 第2巻が待ち遠しい!