だって書くしかないでしょう。
会社帰りに駅前のユニクロで半年ぶりの服の買い物と人生初のスガキヤに満足して外に出てみたら見事などしゃ降りで「こりゃ帰れんわ」 となったので、同じ建物のTOHOシネマズで時間を潰すことに決定したという流れです。そういえば『天気の子』やってるなと。
自分の新海誠に対する興味というのは、『君の名は』を観ていないです、と言えば一発で分かると思います。そう、観ていないんです。新海誠はアニメの映像分析をする某大学講義で紹介されて初めて知った程度で、新海誠めっちゃ好きなんです!という同期がいることに驚きました。どういうルートでこういう作品に触れてきたのだろうか甚だ不思議であり、また自分にない文化習慣を持っていることへの羨ましさもあり、そして最後に自分の不勉強を反省するに至るのです。
新海誠に触れるとき、自分は常に反省的な気持ちにさせられます。今頃観て、まだ観ていなくて、ごめんなさいと。それで、今先送りにしたら一生観ないだろうなと思って『天気の子』を観ました。ほんとなら『君の名は』の方が順序が先でしょうけど、それよりもまず『天気の子』に対する心の整理を丁寧にやっておきたい。つまりこれは、順序を間違えた人の感想記事です。
物語は簡単に言うなら「ループ1回目で綺麗に話が決着したエヴァ」です。それぐらい壮大な世界の問題を主人公の英断で決着をつける話でした。いや、壮大なのは主人公視点に過ぎないのかもしれませんし、他のキャラクターの意見によって中立的な見方はできたのかもしれませんが、それだと主人公たちの物語に付き合ってきた観客の立場がありませんから。そういう意味では、物語を通して主人公たちの英断に観客が寄り添える話になっていましたし、エンタメとしては大正解だったと思います。
新海誠作品だと『ほしのこえ』はガッツリそうだったのでこれ言っても問題ないと思いますが、説明からお察し頂ける通り『天気の子』はセカイ系でした。つまり主人公たちの選択や関係性が世界の問題へと短絡するタイプの物語です。この手の物語は主人公が決断しないと話が進まないので、エヴァDisっぽくなるのが申し訳ないんですけど「決断できないどうしよう」みたいな本人の内面の問題に焦点が当たりすぎるとちょっとストレスが溜まります。その点、本作は決断のための動機がわりと明快でしたし、直情的に動きやすい青少年ということで話の進み方には納得しやすく、痛快とまでは言いませんが端的には快楽でした。
それと、壮大なわりには重くないんですよね。世界の問題を無理に自分たちの問題として引き受けなくてもいいだろうという見解が提示されるし、そういう意味でも楽に見れたと思うんです。それって一見すると無責任かもしれませんけど、そういう責任をしょいこまない選択でも僕らには価値はあるはずだと信じようとしていたのが、目から鱗が落ちる思いでした。自己責任? 上等じゃないですか。映画が終わってしばらく整理がつかなかったのは、この責任の消化の問題をうまく解きほぐせなかったからのようです。
なので、映画を観ようか迷っている人に自分から言いたいのは「楽に観よう?」です。あるいは一種の救済。身構える必要ないんじゃないかな。
映画関係ないですけど、映画観てる間6〜7回くらい観客席のいたる所からエリアメールが鳴ってたのが絶妙な演出になってて最高でした。マクドナルドのシーンあたりで初めて鳴ったんじゃないかな。そのせいか、途中BGMが鳴ってんのかエリアメールが鳴ってんのか分からなくなっちゃいました(笑)。でも一方で物語の世界に妙なリアリティと説得力を与えていたので、稀有な体験したなと思ってます。
『天気の子』見終わりました。
— すねお (@suneo3476Pro) July 22, 2019
何よりも先に伝えたいのは、映画中に浜松の豪雨で何度も観客の災害アラートが鳴り出し、何回か繰り返し鳴ってるうちに物語の内容も相まって面白くなっちゃったことです。
キャラクターは凪くんがオトナっぽい子どもでとても可愛くてたまらなかったですね。どうかそのまま大人にならないオトナでいてほしすぎる……。ありがとう新海誠。