かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

凍結アカからのサルベージ:政治的な正しさ

凍結アカウント(@suneo3476Doc)から自己引用してくるのがかなり面倒くさいので、トピックごとにサルベージする記事を作っていくことにしました。

 

2019年6月8日の連続ツイート

「言っていることはもっともだけど、もう少し言い方を改めたほうがいいのでは(だから言っていることも誤りになるぞ)」などの主張の無効化を指す「トーンポリシング Tone Policing」という言葉があんまりピンとこないから、代わりに「口調警察」という訳語を考えたので拡めていきたい

 

「政治的な正しさ」と訳されることの多い「ポリティカル・コレクトネス Political Correctness」もピンと来ないのでどうにかならんかなと思ってるので、三本松・関井の1994年の論文を読んでいきます。

ポリティカル・コレクトネス論争に関する研究ノート』

CiNii 論文 -  ポリティカル・コレクトネス論争に関する研究ノート

 

三本松らによると「PCはわが国では『政治的妥当性』『政治的適正』『政治的正しさ』『政治的正当』『政治的潔癖主義』などさまざまな訳語が当てられているが、いまだ定訳はない」。

今聞き慣れている「正しさ」は熟語に比べてニュアンスがあいまいなので、他の訳語がヒントになりそうですね。

 

「PCとは何か」という問いへの回答の共通項は「社会的少数派に配慮する生活態度」で、彼らに「気を使い、発言に注意すること」が要求されるが、そこに「強制的色彩を帯びているのが特徴」。

PCが他者の自由や権利を侵害する可能性を指摘していて、本文後ろでは「言葉狩り」の問題が示されています。

 

ここでいう「強制的」というのは、あらゆる価値観は多数派も少数派も相対的に等価であるという価値相対主義に立った認識ですが、PCはそれに優越する「正しさ」が必要だと言うわけですね。
「政治的」という言葉にはそのようなニュアンスがあると思います。

 

なぜ必要かというと、多数派の価値観で構成されている社会が少数派の価値観を隠匿する状況を問題提起したいから。PCの結果として社会が萎縮したりしなかったりするだろうけど、その結果よりもPCの告発によって社会に存在が露出することが重要なのだと思う。PCとはそのような意味の運動なのだと思う。

 

そういったPC的な告発を「わざわざ言うことではない」という感想を時々見るけど、問題を語る権利の有無を決定するのは常に当事者の側にあるのであって、非当事者ではないし、これはそれこそ「口調警察」案件でしょうね。本人の「見たくない」という意識を問題の有無にすり替えるタイプの論法。

 

どうやら「正しさ」の意味が「政治的」という言葉に深く依存しているため両者を機械的に分割して置き換えるのは多分無理なので、どうすれば「政治的に正しい」ことになるのかを考える方向で行ってみたい。寝る。続きは数日後かもしれない。

 

※続きませんでした