かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

セックスとジェンダーの意味とその関係

本日の論文に使えなくなった文章廃品回収です。

 

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 私たちは、自身の意思や希望とは無関係に何らかのセックスとしての身体に生まれ、生きている。このセックスは社会的な性別割振りの判断基準であり、それゆえセックスはトランスジェンダーにとって重要な問題である。一方で、ジョン・マネーとパトリシア・タッカーの『性の署名』に代表される性科学(Sexology)の知見からは、人間の性の中心を占めるのは生得的なセックスではなく後天的なジェンダーであるという見方がなされるようになってきた。このとき、セックスとジェンダーはそれぞれに何を意味していて、どのような関係にあるのだろうか。

 ジュディス・バトラー(Judith P. Butler)によれば、「そもそもセックスとジェンダーの区別は、<生物学は宿命だ>という公式を論破するために持ちだされたもの」(Butler 1990: 27)である。<宿命>とは、女性が「女性とはこういうものだ」という性質が生まれながらに備わっているとされ、予め決まっていることを指すものである。その根拠はしばしば生物学に求められ、身体は「文化的意味が外側から付け加えられるだけの、単なる道具や媒体」(Butler 1990: 31)だと考えられていた。これを覆そうとしたのが「ジェンダー」(Gender)の概念である。元々は言語学用語だったジェンダーという言葉は、第二波フェミニズムの中で「自然的・生物学的性差」であるセックスとともに「社会的・文化的性差」を意味するものとして用いられ始めた(Tuttle 1998: 140)。

 例えば、ボーヴォワールの『第二の性』(1949)の冒頭に登場する「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」(Beauvoir 1949: 12)という有名な書き出しには、セックスとジェンダーの峻別が表現されている。『第二の性』第二巻では、多くの精神科医による調査データを豊富に引用しながら、女として生まれた子どもが成長段階の各段階と、成人後のそれぞれの状況において、いかにして「女」が作られているかを検証している。彼女にとって、「ジェンダーは『構築された』ものである」(Butler 1990: 31)。このように、初期のジェンダー概念はセックスとの区別を重視し、ジェンダーはセックスによって規定されるものとして考えられていた。

 このようなセックスとジェンダーの区別は後にバトラーによって覆される。ジェンダーとは社会的・文化的に作られたものであったが、バトラーはセックスの社会的構築性こそに注目する。 

セックスの自然な事実のように見えているものは、(中略)さまざまな科学的言説によって言説上、作り上げられたものにすぎないのではないか。セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく、「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。実際おそらくセックスは、つねにすでにジェンダーなのだ。そしてその結果として、セックスとジェンダーの区別は、結局、区別などではないということになる。(Butler 1990: 28-9)

バトラーの主張を前段に対比させて一言でまとめるならば、「ジェンダーがセックスを規定する」というものである。生物としての人間が必ずしも「男女」の二種類だけではないことが科学によって明らかにされるようになってくると、「セックスがジェンダーを規定する」という理解は生物学の「男女」の二分法にからめとられたものであると見なされるようになり、セックスの二分法の自明性そのものが問われるようになったのである。バトラーによってセックスの社会的構築性が示されて以降、セックスとジェンダーの区別は慎重になされるようになっている(竹村和子2002: 163)。ただし、これはセックスとジェンダーの区別が無意味であるということではなく、区別の仕方によっては区別自体が無意味になりうるということであり、ただちにセックス概念を否定する見解ではないことに留意すべきである。

 以上を踏まえつつ、さしあたって私たちがトランスジェンダーについて議論するとき、セックスは生物学的な性差であり、ジェンダーは社会的・文化的な性差であると定義を与えることで、特別に深刻な問題は生じないように思われる。

 

参考文献

Beauvoir, Simone, 1949, Le Deuxième Sexe II L'expérience vécue, Paris: Gallimard.(『第二の性』を原文で読み直す会訳,2001,『決定版 第二の性――II 体験 上巻』新潮社.)

Butler, P. Judith, 1990, Gender Trouble, Feminism and the Subversion of Identity, UK: Routledge.(竹村和子訳,1999,『ジェンダー・トラブル――フェミニズムアイデンティティの撹乱』青土社.)

Money, J., Tucker, P., 1975, Sexual Signatures: On Being a Man or a Woman, UK: George G.Harrap & Co.(朝山新一,朝山春江,朝山耿吉,1979,『性の署名――問い直される男と女の意味』人文書院.)

竹村和子,2002,「ジェンダー」井上輝子,上野千鶴子江原由美子大沢真理,加納実紀代編『岩波 女性学事典』岩波書店

Tuttle, Lisa, 1986, Encyclopedia of Feminism, UK: Longman Group Ltd..(渡辺和子監訳,1998,『新版フェミニズム事典』明石書店.)