かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

大長編ドラえもんの「争う敵」「争わない敵」

カラオケでは武田鉄矢の映画ドラえもん主題歌を熱唱するすねおです。ゆうべの追いコン後の後のカラオケでも歌ってきたのですが、その後帰り道で映画大長編ドラえもんについて思い出しながら、作品の印象を変えるファクターとして「敵」の存在が気になりました。

※『のび太と竜の騎士』『のび太の雲の王国』『のび太の創世日記』のネタバレが含まれます。ご注意ください。

例えば『銀河超特急』と『宇宙漂流記』はどちらも宇宙生命体を撃退しますが、前者が人間の精神を乗っ取るのに対して後者はエスパーによって人間の悪意を強化することで人間を支配します。また、前者では弱点を突いて本体を倒せば勝利しますが、後者は仮の身体を破壊してもすぐ復活するため最終的に宇宙の果てへ追放する対策を取ります。したがって、前者では敵を撃退した達成感がやってくるのに対して、後者では後を引く敵の不気味な印象を作品に与えることになります。同じ宇宙を舞台にした3年差の作品同士でもこのような違いを認められるのはかなり興味深いことだと思います。

そこで、まず大長編作品での「敵」とは何かについて考えてみたいと思います。

『てれびくんデラックス ドラえもん完全大百科』(小学館、1996)の「映画ドラえもんガイド」のコーナーには1980年『のび太の恐竜』から1996年『銀河超特急』までに登場するキャラクターが表形式でリストアップされていて、一般に敵と思われるキャラクターには「ライバルキャラクター」という項目名が記されています(一方、味方にあたるキャラクターは「ゲストキャラクター」)。

以下の表は数作品について「ゲストキャラクター」「ライバルキャラクター」の項目を抜き出したものです。

作品名 ゲストキャラクター ライバルキャラクター
のび太の恐竜 ピー助 黒い男と手下たち、ドルマンスタイン
宇宙開拓史 ロップル、チャミー、クレム、ブブ、ロップルの母 ボーガント、ゴスとメス、ギラーミン
大魔境 ペコ(クンタック王子)、チッポ、ブルスス、スピアナ姫 ダブランダー、コス博士、サベール隊長
雲の王国 パルパル、グリオ、タガロ、ホイ、植物星大使(キー坊) (ハンターたち)
創世日記 ノンビ、ノビ彦、野比奈、ビタノ、スネ若大将、スネ麻呂、チュン子、出来松博士、野美のび秀、源しず代、エモドラン、ハチビリスの大統領 (白神)、(ヒメミコ)

この欄の興味深い点は、キャラクターによって表記方法が変わることです。例えば『のび太の恐竜』の「黒い男と手下たち」「ドルマンスタイン」は名前が直接表記されているのに対して、『雲の王国』では「(ハンターたち)」、『創世日記』では「(白神)」「(ヒメミコ)」という風に名前が括弧書きされています。なぜでしょうか?

これらのキャラクターは物語の一部で対抗することにはなりますが、最終的にやっつける相手ではありません。『雲の王国』のハンターたちはのび太の雲の王国を乗っ取るためのび太たちと敵対しますが、地上人と天上人という敵対構図においてハンターたちはのび太たちと同類です。

『創世日記』の人間の生け贄にするお告げをしたヒメミコは、のび太たちに非人道的であるとみなされたことで形式上妨害を受け、白神もまた兵士と生け贄の娘を守るために退治されますが、そもそも白神という生物の謎を追うために追跡を試みたものでした。

また、両作品に共通するのは「何かと争う」のではなく「争う必要性を無くす(ために説得に走る)」のが最終目標になってきます。『雲の王国』では天上人の地上人(∋ハンターたち)に対する一方的な争いをのび太たちやキー坊が調停しようとしますし、『創世日記』では新世界の地底の昆虫人類と地上人類の争いにのび太たちが神様の立場から待ったをかけます。考えてみれば『竜の騎士』も地底人の哺乳類に対する争いをストップさせました(途中防戦しますが正当防衛です)。


このように、敵対場面はあるものの本来敵対する必要のない相手は物語上本質的な敵とは言い難いことがわかります。よって、大長編ドラえもんにおいて敵は「争う敵(争わねばならない敵)」「争わない敵(争う必要の無い敵)」の2タイプがあると結論します。

次回は、敵とされるキャラクターの役割や立場、敵対状況を分析することで、敵を「敵」たらしめるものが20年ほどの間でどのように推移していきたのかについて考えてみたいと思います。

蛇足:竜の騎士のライバルキャラクターに「巨大彗星」って書いてあって吹いた。