かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

『シン・ゴジラ』関連記事の私的まとめ

ブログに『シン・ゴジラ』の感想を書くための資料として、自分の注目した箇所の要約と一緒にリストアップしました。ニュースと複数人の対談は除いてあるはずで基本文章。ハイパーリンクついていないのは怠慢です。
【批評・レビュー】【考察・解説】【感想】で自分用に区別していますが「あんまりだろ」と思うものがあればコメント欄で教えてください。
分かる範囲でページ名の後ろに筆者の名前、「はてな」のid(例. id:suneo3476z_tn)、TwitterのID(例. @suneo3476Pro)を書いておきました。「(増田)」=「はてな匿名ダイアリー」の匿名の筆者です。
整理できてないページが沢山残っているので、次回9/3(土)~9/4(日)に更新します。
 
【批評・レビュー】
 
・「その時点で日本人が内心薄々、最も恐れていること、恐れているような事態っていうのをフィクションを通して具現化する」のはオリジナルゴジラと重なる部分。
・『ガメラ3』の渋谷破壊の若者描写のような「死の責任を転嫁するような視点」は一切排されている。
・「日本オタク文化の内向きな目線みたいなもの」に鼓舞されるより、せめて「人間ナメんな!」展開でアゲる方法もあったのではないか。
 
・日本人の強さは「個」ではなく「群」プレーで、要なことを必要な時にやれるのが日本人だと言っている。
・日本人だけで守れなくなった時の絶望感を描き、集団的自衛権の欺瞞を表現している。
・前半をリアルに描くことで後半のぶっ飛んだ「日本vs.ゴジラ」を楽しめる演出になっている。
 
庵野は「自らの欠点と得意とする部分を熟知した上で、アニメの様に実写映画を撮ることで『シン・ゴジラ』は従来の庵野実写映画にはない普遍性を獲得した」。
 
庵野秀明は「政治家と官僚を主役にして、あるべきリーダーシップと組織論、そして戦後の思想的な総括を恐れずにやる」ポリティカル・フィクションを、ゴジラというファンタジーの存在を使って成立させた。
・「90年代前半の新保守系リアルポリティックスの発想に近い」、「20世紀的な左右のイデオロギーを排してプラグマティックに、実効性のみを基準に防衛のあり方や権力を考えてみようという発想」を描いた。
・この国の進歩の無さという現実を認めた上で少しずつ前に進むしかないという諦念とアイロニーの映画。
 
※有料購読部分を除いて紹介します。
・「庵野にとってのプライドとは、アニメや特撮といったジャンルの内側での安住をよしとしない、「飲み屋で隣に座った女の子」に届く風通しのよさと一般性」。
 
ゴジラは動きが鈍重という問題点を抱えており人間に対応時間を与えてしまう。ローランド・エメリッヒゴジラでは「動けるように」し、ギャレス・エドワーズゴジラでは「最大限格好良く見せよう」とする解答が示された。本作は2つ解答を示した。ひとつは「ゴジラを進化する存在として位置づける」ことであり、「科学技術の産物」「神の化身」の側面を両方満たした。もうひとつは日本の鈍重な組織をぶつけて問題を相殺すること。
・豪華キャスティングにも関わらず後半で顔を描かれなくなるのは「名も顔も知られた英雄的な人物の力ではなく、無名の職業人達の働きこそがゴジラにすら対抗できる力に成り得る」というメッセージ。
・「初代ゴジラの在り方を継承した」、「3.11以降の映画であり、3.11の経験を踏まえたゴジラ
 
・東京一極集中では日本を維持するのは困難。
ゴジラが急速に変貌する一方で、人間の意識は変わってほしくても(理想)なかなか変われない(現実)。
・現実=ゴジラ、虚構=(映画内での)ニッポンであり、ニッポン(人間)が変わらなければ映画内の姿が虚構になってしまう。
・政府が牧悟郎元教授の訴えに耳を傾けなかったのは御用学者でなかったため。
・「過ちを素直に認める誠実さから成る人間関係の構築」
 
・「『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある」。
エヴァQとシン・ゴジラは両者ともに危機に対する現実主義的な対応を描き、視点が孤独な男(シンジ・牧悟郎)サイドか、現実主義的な集団(ヴィレ・日本政府)に置くかで異なる。
 
・核攻撃を回避したのに実態は核攻撃されたのと大して変わらず。
 
・シンゴジラを冷やすために特攻した自衛隊のように、 3.11当時の日本政府は福島第一原発でも自衛隊を特攻させるべきだったという政治的な意思表示。
↓2つの反論
シン・ゴジラ、登場人物、ヤシオリ作戦は日本神話のヤマタノオロチ退治をなぞっている。
ゴジラを倒した最大の理由は日本の体制側の中の蛇=ゴジラ的な部分にあり、怪獣同士の戦いだった。
シン・ゴジラ福島第一原発批判とするのは表面的で、正しくは神話的解釈による政治批判をした映画。
・最大限に人命を尊重して立案されたヤシオリ作戦は「特攻」ではない。
・「(特攻する)ヒーロー」にはならず、生きるためにただ「仕事」をするのが「現実」の私たち(人間)の戦い。
ゴジラは虚構であっても、(人間の)「戦い」は決して虚構ではない。
 
・「災害をエンタメにしてはならない」「日本の会議システムは非効率」「ゴジラ映画はヒットしても評価されない」「電車はヤラレ役」という憑き物落としをした。
 
牧悟郎元教授
 
※これには気持ちよく大爆笑させてもらったので、皆さんにもぜひ読んでいただきたい。
庵野秀明の「思わせぶり」に満ちた映画が鑑賞者の想像力を刺激して作品の様々な解釈が生まれる。
・その結果がこのレビューだよ!(褒めてます)
 
キャッチコピー 「現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)」
 
・「想定外」を遥かに超えながらリアルな存在感が与えられた究極に「虚構」(ゴジラ)に、「「現実」のなかにたしかに生きる「虚構」」(巨災対)という「銀の弾丸」で対抗した。
・「現実対虚構」という枠組みは解体され、「虚構」と「現実」の混合物を再構築する道を示した。
 
・徹底的なリアルによってゴジラという「虚構」を東京に現出させようとしている。
 
・「挙国一致し世界に実力を見せつける日本というのもまた虚構なのではないか。願望の発露といってもよい」。
 
【考察・解説】
 
ゴジラを進化前から登場させるアイデアが既存のゴジラのイメージを白紙に戻した。
・特撮のいち手段としてCGを採択しただけでなく、手段の可能性を追求している。
・「ファンを満足させながら、シリーズ初見&一般客の鑑賞にも耐えうるバランスに調整し、それでいて、どこまでいっても「純なエンターテインメント」という殻をしっかり被っている」映画を作った。これは『スター・ウォーズ / フォースの覚醒』にも見られた方法論。
・「そうだよな、日本人、頑張れるよな」という常人に寄り添ったテーマを強く打ち出している。
・ラストのカットは、報われない展開予想への反論を喚起させ、テーマを強く感じてもらうためにある。
 
・アメリカは日本への協力にはメリットがあった。
・牧悟郎元教授は人類を試していた。
 
ゴジラ細胞はATフィールド説。
 
・ヘリを落とした光線の主目的は「飛行物体を全て打ち落とすこと」説。
 
※ぜひ貴方自身で読んでいただきたい巨災対人材有力候補
 
・あのビルの謎
 
・シーン解説
 
【感想】
 
シン・ゴジラ : まこりん日和 戸田真琴 (@toda_makoto)
※こんなに綺麗な文章が書けるのは凄い……と思った名文である。読んでみてほしい。
 
・初代「ゴジラ」は傑作だが、公開当時と同様の体験を決して私たちにはできない。
・「シン・ゴジラ」は「2016年の今この瞬間に生きる私たちに向けて作られた、私たちの「ゴジラ」」であり、「初代「ゴジラ」そっくりそのままの「ゴジラ」」。
 
・「見れば、必ず「ここは」と感じるピースがあります」。
 
※考察に分類したかったが、本人は感想であると書いているため感想に分類した。
・内閣そして巨災対では、緊急事態において「縦割り」と「統合」の矛盾する二つの対応を両立させるのが情報共有ということを描いている。
・赤坂秀樹がバランスを取る人物だからこそ、それに反する意見を絞り出すように言う役者の演技は特筆に値する。
・三人の科学者と尾頭ヒロミは「御用のレッテルが科学を殺しかけてヒロインによって復活したシーン」のためにいる。
・「映画に正義はそれほどなく、大事なことは起点になること 」。
・ヤシオリ作戦では、「怪獣が現れて、通常兵器では勝ち目がない。その時に、顔の見えない英雄が、厳しい時間制限の中精一杯戦い、最後の最後で勝利を収め、帰っていく」。つまり「人は誰でもウルトラマンになれる」という描写。
・54年のゴジラにはあった殺人描写がないという大きな謎も本作の魅力。
 
これよりシン・ゴジラ超ネタバレ10000字の儀を執り行う! | Em タカハシヒョウリ(ロックバンド・オワリカラ) (@TakahashiHyouri)
・人間パートの「編集のリズム感、ビート感」。
・自分から攻撃しないゴジラの本質は「憎しみ」だけでなく「人類への裁定」でもあり、人類な最終的な選択によって、ゴジラという「裁きの神」(=巨神兵)が見守る世界に推移した。
・他のゴジラと比較して、「僕たちは裁かれている、という罪と罰の意識」がある。ゆえに、圧倒的破壊にも浄化する罰としてのカタルシスが生じる。
・「ギャレゴジ」が「高い次元の目線のファンタジックな神」であるのに対し、シンゴジラは「超圧倒的な脅威でありながら、人間の目線でわれわれを裁定している」、「人による、人のための、人の神」。ゆえに、人間の要素が必要だったのではないか。
 
・「客観と主観、2つの性質の情報量をうまくコントロールして、初見の人にもわかりやすく、マニアの人にはいくらでも深掘りできるような多層構造が構築されている」。
 
・「エヴァと同様に「シン・ゴジラ」を考察するのは、自分自信の内面を見つめるのに等しい。「シン・ゴジラ」に散りばめられた謎や設定、ネタは感想を述べる者の鏡として作用する」。
・「シン・ゴジラ」の世界で3.11は発生したのか
 
・「今までのゴジラ映画のテーマは『科学を軽々しく用いる人類に対する警鈴』」であるのに対し、その警鈴を無視したその後を描いているのが『シン・ゴジラ』。
エヴァの少年一人に世界を託してしまう脆い世界(=セカイ)であるのに対して、シン・ゴジラの強固で脅威の無い日本政府は無力な思春期少年など眼中にない、社会派、すなわち『反セカイ系』の映画。
 
・『シン・ゴジラ』の気持ちよさは、「「これまでのニッポン」に対する不満が、ゴジラの出現を通じていつの間にか解消されており、これまで嫌いだったもの、これまで一体感を感じることができなかった対象が何となく好きになることができていることに存している」。
・多くの欠陥を抱える「これまでのニッポン」が緊急事態における国民と政府の一体感に伴って解消されていく過程のわかりやすさが気持ちよさにつながっている。
・国会前デモをよそにした政府内部の者の睡眠シーンは、「政府と国民を一体化させるのは選挙でもデモでもなく、緊急事態とその突破なのだ」という国家の本質を表している。
 
・「現実 対 虚構」は映画の前半と後半でひっくり返る二重の構造を持っている。
庵野秀明樋口真嗣は「虚構の力」が現実に作用しうることを示した。
 
・「「みんな」がそれぞれの役割や責務を背負って頑張っていること、そうやって社会が回っていることを、「良いこと」として描いた」。
 
・「映画の本質は”本来はわかりあえない自分と他人の意見が100%通じあい、巨大な事を成し遂げる”という部分にある」。
 
※「はてブ経由で『シン・ゴジラ』関連記事を100以上」読んだらしく大変シンパシーを感じる。
・画面に登場する人物に感情移入できない筆者だからこそ、画面に登場しない人物がたくさんいる映画は感情移入しやすく、描かれない死に共感する。
・「現実をリンクする物語は、現実を追い越すと続編を作れなくなってしまう」。
 
・「頑張れ」ではなく「がんばってきたよね」映画。
・お茶汲むだけの出番でも埋もれちゃだめだからこそ存在感のある俳優を入れた。
 
・才能とこだわりを持った人々が「いま、ここにあるもの」 を「果てしなくフェティッシュに描くことで逆説的に現実の景色を描き替え」、「いま、ここ」が壊される可能性を示した。
 
・「すべては在来線爆弾とあのストロー攻撃のために存在している」。
 
・とてつもないリアリティで本物っぽく描かれる「日本」の虚構性が作品自体の虚構性をブラックジョーク的にメタレベルで意味している。
 
・「多分本当に東京を知らない人からすればまあまあの良作くらいにしか映らないんじゃないか」
・「シンゴジラが傑作として評価されてるのは東京中心的な世論形成の顕れ」
 
・ヘリコプターのシーンは中国では作れるはずがなく、たぶんハリウッドでもなさそう。
・もし上海とかにゴジラが来ても他国が助けてくれない点に打ちひしがれた。
・中国ではたぶん上映禁止。
 
・初代ゴジラの侵攻ルートは東京大空襲のB29の侵攻ルートであるため、「B29が皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもなかったように、ゴジラが皇居を襲わなかったのはタブーでも何でもありません」。
 
↓反論
・「58点と感じる人の感性にウケるゴジラ」は「海猿」のような映画。
↓再反応
 
※個人的に好きなのでピックアップした
 
【その他】
この記事と主旨の同様なまとめ
・感想の十日間
 
読んだが咀嚼に失敗した
・すまない。
 
読むのを放棄した
・関係無いことを書きすぎると肝心な主張を読むまでに力尽きる例。
 ただし、宇野常寛のように関係のあるギリギリの範囲で沢山喋るという例外もある。
 
【未整理】
ほか多数