かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

【読書】三田誠広『日本仏教は謎だらけ』

就活の移動中に三田誠広『日本仏教は謎だらけ』を読み切りました。普段から学術的な文献に触れることが多い自分としては,とても平易な文体で一般向けを意識して書かれているように感じます。著者プロフィールを見ると芥川賞作家で文学部教授とあり,論文検索すると宗教文学に関心がおありのようです。

日本仏教は謎だらけ (双葉新書)

日本仏教は謎だらけ (双葉新書)

 

仏教についての細かい質問に答えていくような形式で項目が分かれているのですが,日本史・中国朝鮮史・インド史と平行して仏教の発展と展開を説明しているので,ストーリーがとても飲み込みやすかったです。言葉だけはよく知っている菩薩・解脱・仏陀といった仏教用語や,義務教育で習った歴史上の人物たち,とにかく沢山ある宗派や東大寺興福寺といった有名所の寺社。それらの漫然と広がっていた知識群が読み進めていくうちに立体となっていくのは快感でした。「聞いたことだけある」レベルの知識をまんべんなく「そういうことだったのか」レベルにしていくのがこの本です。その意味では,単なる仏教用語の解説を列挙するタイプの事典とは異なって読み応えがありました。

仏教の教義に触れたことがなかったので,なんとなく判然としない教義の集合なのかなと思っていたのですが,認識論や存在論をつきつめる哲学にとても近い内容であることがよく分かりましたし,日本史の流れと並行しながら,どういう世相のなかでどういう教義の宗派が発明され受け容れられてきたのか,ということも理解できました。もちろん,仏教以前からの古来の神道信仰とどのように融合してきたのか(神仏習合)も説かれています。日本史から仏教を切り離して考えることはほとんど不可能だという認識が得られたのがとても良かったです。

一方で,自分の関心として日本において自己やアイデンティティの問題はどのように考えられてきたのかという問題がありました。そういった関心に本書はヒントをくれたように思います。少なくとも,「私とはなにか?」という問いに仏教は答えを出そうとしていないようです。本書によれば,釈迦が仏教のベースにしたバラモン教的死生観において「人間」は自明な存在ではなく,輪廻転生によって様々な動物に生まれ変わっていくとされているようです。つまり,どちらかといえば「私はどのように生きればよいか?」という<人生>の問題に答えるのが仏教の役割と言えそうです。

したがって,仏教に着眼する限りにおいては,私という自己の問題は日本において重視されてこなかったか,する必要がなかったと見るのが適切かなぁ,と思うようになりました。今よりも不安定な社会では,私について考える以前に生活が苦しくて悩んでるほうがふつうで,眼の前にある苦しみにどう対処するのかを説くのが仏教の役割だったのでしょう。ある意味で,私とは何かという問いにぶち当たれる我われは,贅沢な悩みで,幸せ者なのかもしれません。