かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

【レビュー】『ミッドナイトスワン』(2020)

この記事は、映画『ミッドナイトスワン』(2020)のネタバレを含んでいます。

なお、監督が執筆した小説版は未読です。

最初に断っておきますが、評価は低めです。

映画の機能

トランスジェンダーとひとくちに言っても、容姿なり服装なり体なりの自分のどこをどのように変えるのかは実にさまざまなので、主人公のトランスジェンダーはどういう設定で来るのかな、と気になってたんです。だから、新宿で水商売をして、ホルモン注射を打つ主人公の凪沙(なぎさ)を見たとき、そんなにひねらず、わりとベーシックな感じで来たなというのが自分の率直な印象でした。よく知ってるものが出てきたなと。一昔前で言えば「ニューハーフ」、今風の言い方だと「おネエ系」。

しかし、この凪沙を「ニューハーフ」や「おネエ系」ではなく、あくまで「トランスジェンダー女性」として描こうとするのがこの映画の特徴であり、観る者に「ニューハーフ」や「おネエ系」の再解釈を促す機能があります。私から見ても、草彅剛の演じる凪沙はトランスジェンダー女性としてとてもリアリティがあったと思います。

ただ、トランス女性の経験する困難を象徴する、就職活動や肉体労働現場などのシーンは、もう少し説明的でもよかったと思いますけどね。特に「手術」に関しては丁寧に説明を与えないと観客にミスリードさせてしまいそうで心配です。ちょっと詳しく説明します。

手術は凪沙を救わない

凪沙は「女」になるべく手術という重大な選択をします。でも、彼女はもともと手術に前向きではありませんでしたし、手術の目的も「女」の身体になりたいというよりも――その結果「女」の身体を手に入れるにせよ――一果(いちか)の「母」になる手段として手術を必要としていました。凪沙はむしろ、手術をしても「女」になれるとは限らないことを悟っていたのではないでしょうか。彼女にとっては、いま現在の自分の肉体が男のものであること以上に、男の肉体に生まれたこと自体が修正の効かない間違いなのです。したがって、手術は凪沙の苦悩を根本的に解消する手段にはなりえないのです。

手術を選択した凪沙を待ち受けていたのは、親族から人間扱いされないという仕打ちでした。それはまさに、手術さえすれば「女」としての自己実現が果たせるという幻想を打ち砕く現実です。現行法で手術は戸籍上の性別変更の要件ですが、そこに至ったのかについて作中では不明確です。出血について彼女は「怠けた」と言っていますが、病院で嫌な目に遭う心配をしたのかもしれませんし、そもそも国内ではアフターケアのできる医療機関も限られています。

可能性の話ですが、彼女のトランスジェンダー女性としてセクシュアリティが社会の中で十分に受容されていれば、彼女が術後を万全に過ごせたかもしれません。それに、就職活動や就労上の困難に悩まされることなく、経済的に余裕のある状態で治療に臨めたかもしれません。とまあ考え始めると枚挙に暇がないのですが、多くは語らない凪沙の姿からは、実に様々な生きづらさが想像させられます。

この辺りの、トランスジェンダー女性にとって手術とは何なのかについては、やっぱり説明不足なんじゃないかなと思いました。

リンの考察

それに比べて一果の友人・リンの描写が充実していましたね。充実しすぎて、凪沙とリンのどっちに意識を傾ければいいのか分かりませんでした。リンはリンでよかったけど、リンをカットして凪沙の描写にきちんと回してくれと思ったくらい。

リンは母親の指示で渋々バレエを習わされていた一方、女性で満たされた空間で満たされたバレエ教室は逃避の場でもあったのでしょう。わざわざ会いたくもない男性の撮影モデルになるアルバイトをしてまで月謝を稼ぐくらいですから(裕福な家庭のはずなんですが、何の為に稼いでるんでしたっけ?)。バレエ教師の美香もリンにとって特別な存在だったのだと思います。美香が一果に夢中になったことが気に入らず、トラブルのきっかけを作ってしまうくらいには。その結果起きたことも含めて、美香にも母親にも説明できない複雑な心情を抱えていたよう見えました。

足の怪我でバレエができなくなって病院で涙を流したのは、たんに親に認めてもらえる要素を失くしたに留まらず、また一果に会う機会が減ってしまうのも勿論ですが、やはり彼女の逃げ込む居場所を失ったことが大きかったのではないでしょうか。その後、異性愛者の幸福を象徴する結婚式に背を向けて飛び降りたこと(しかもその場の誰もが気がついてなさそう)を考えると、早かれ遅かれ彼女は人知れず社会からドロップアウトして(させられて)いたのだと思います。

総評

この飛び降り以降リンは登場せず、マジの退場じゃんって若干ひきましたし、映画でそこまでやらんでもいいでしょ、と思いました。凪沙もそうですけど、この映画は後半に勢い任せな過剰演出が目立つようになって、前半までの経過を台無しにしまっています。観客にはインパクト与えるでしょうけど、きちんと内容を咀嚼できるかがちょっと疑問です。だって、マスコミのニュースサイトで芸能人がミッドナイトスワンを絶賛みたいな記事を読んでも、おしなべて「演技がよかった」ことしか言及してないじゃんね。

これは私が映画に過剰に期待しすぎているのかもしれませんが、観る者に関心を持って欲しいことがあるのであれば、映像でズルをするんじゃなくて、適切にボキャブラリーを与えるのも映画の役目だと思います。この映画はそういう所が残念だなと思いました。

私はリンが気に入っているので、いっそのことリンと一果をメインに据えてしまったほうが、まとまりある物語ができたのではないかとすら思ってしまいます。内田監督のインタビュー記事によると、元々バレエの話を先に考えていたらしいですね。

自分はこの映画、人に観てくれとは思わないな。以上。