2026年2月28日、米国とイスラエルがイランに大規模な軍事攻撃を行った。少なくとも200人が死亡し、700人以上が負傷したと報じられている。南部ミーナーブ市の女子校への攻撃では85人が犠牲になった (CNN、筆者注:原題 "What we know about the US-Israeli attack on Iran and Tehran's retaliation"=米国・イスラエルのイラン攻撃とテヘランの報復について分かっていること)。
自分は音楽をやっている人間なので、死亡した人の中には今日音楽を楽しむ予定だった人もいたかもしれないと思うと悲しい。なので、この爆撃を行っている米国とイスラエルに抗議したいが、イランの人々が平時からどのように音楽に触れているかをよく知らない。自分としては、抗議するなら納得ずくで抗議がしたい。
そこで、インターネットの情報源に限って調べ物を行った。まず二人のイラン人アーティストの最近の曲を紹介する。次にイランの音楽の自由をめぐる歴史と今日に至る状況を追う。最後に、それを踏まえて自分の認識を整理したいと思う。
シェルヴィン・ハジプール『バラーイェ』(2022)
2022年9月、22歳のマフサ・アミニがヒジャブのつけ方を理由に「道徳警察」に逮捕され、拘留中に死亡した。道徳警察(ペルシア語でガシュテ・エルシャド、直訳すると「巡回指導」)とは、ヒジャブなど服装の戒律違反を街頭で取り締まり、違反者を拘束・逮捕するイランの治安組織だ (INPS Japan)。アミニの死を受けてイラン全土で「女性・命・自由(ジン・ジヤン・アーザーディー)」を掲げる抗議運動が起きた。
この運動の中で、シェルヴィン・ハジプールという若いミュージシャンが一曲の歌を作った。「バラーイェ(〜のために)」という曲だ。歌の中では「バローイェ」と聴こえるが、日本語では「バラーイェ」という表記が定着している。ペルシア語の綴りは「برای」(barāye)で、「〜のために」「〜だから」を意味する前置詞だ。
旧・Twitterのハッシュタグ「#Baraye」で何千人ものイラン人が書き込んだ「なぜ自分は抗議するのか」という声を、ハジプールは29件選び出して歌詞にした。「通りで踊ること"のために"」「好きな人にキスする時の恐怖"のために"」「ただの普通の生活"のために"」。最後は「自由"のために"」で締めくくられる (The World from PRX、筆者注:原題 "Protest music thrives in Iran, three years after young woman's death sparked grassroots uprising"=若い女性の死から3年、イランで抗議音楽が生き続けている)。
YouTubeには、英語字幕付きの動画がある。
ハジプールはこの曲を自分の部屋で歌い、2022年9月28日にInstagramの自身のアカウント(@shervinine)に投稿した。48時間で4000万回再生された。それまではフォロワー5万人程度の無名のミュージシャンだった。翌日、当局に逮捕され投稿の削除を強制されたが、その時にはすでに動画は無数にダウンロード・拡散されていた (#AuxSons、筆者注:原題 "For Women, Life, Freedom - Shervin Hajipour and a history of Iranian protest songs"=女性・命・自由のために――シェルヴィン・ハジプールとイラン抗議歌の歴史)。
逮捕の罪状は「体制に対するプロパガンダ」「暴力の扇動」。2023年のグラミー賞で新設された「社会変革のための最優秀楽曲賞」を受賞したが、イランからの出国を禁じられていた彼は授賞式に出られなかった。暗い部屋でオンラインで受賞を知り、涙を拭う姿が映像に残っている (Euronews、筆者注:原題 "Iran protest song 'Baraye' wins new Grammy Award for sparking social change"=イランの抗議歌「バラーイェ」、社会変革を起こしたとしてグラミー賞新部門を受賞)。その後、懲役3年8ヶ月の判決を受け、さらに米国の「残虐行為」についての楽曲を書くことを命じられた (EA WorldView、筆者注:原題 "Iran: Award-Winning Composer of 'Woman, Life, Freedom' Anthem Given Prison Amnesty"=「女性・命・自由」賛歌の受賞作曲家に恩赦)。
2025年11月には、ジムの入場やコンサートへの参加を拒否されていることを公表した。警備員に理由を尋ねたところ「お前がシェルヴィンだから」と言われたという。それでも彼はイランに留まり続けている。「この国に残ったのは、家の片隅に座って屈辱を受けたり、働けなかったり運動もできなかったりするためではない」と語っている (Iran International、筆者注:原題 "Grammy-winning Iranian singer says he faces bans from public venues"=グラミー受賞のイラン人歌手、公共施設への出入り禁止を受けていると証言)。
トゥーマジ・サレヒ『Surakh Mush(ネズミの穴)』(2021)
ハジプールだけではない。ラッパーのトゥーマジ・サレヒは、抗議運動を支持する楽曲を発表し続けたことで2022年10月に逮捕された。252日間の独房拘禁を受け、拷問の疑いが報告されている。拷問にはアドレナリン注射で意識を失わないようにした上での暴行、腕・脚・指の骨折が含まれていたと本人が証言している (Atlantic Council、筆者注:原題 "Everything you need to know about Iranian rapper Toomaj Salehi and his death sentence"=イランのラッパー、トゥーマジ・サレヒと死刑判決について知るべきすべてのこと)。2024年4月には「地上の腐敗」の罪で死刑判決を受けた。同年6月に最高裁が覆し、12月に釈放された (Wikipedia: Toomaj Salehi)。
彼の代表曲のひとつを貼っておく。体制に加担する者たち(見て見ぬふりをする市民、御用ジャーナリスト、沈黙するアーティスト)に向けて「ネズミの穴を買え(逃げ場所を探しておけ)」と警告する曲だ。
彼らの他に、歌手のメフディ・アラヒはミュージックビデオで女性がスカーフを外して踊る映像を撮り、投獄された (The World from PRX)。2022年だけで100人以上のアーティストが逮捕・起訴されている (Mimeta、筆者注:原題 "Iran's Artists Under Siege: From 2022 Icons to 2026 Anonymous Resistance"=包囲されるイランのアーティストたち:2022年のアイコンから2026年の匿名の抵抗へ)。
歌を作ったら逮捕される。ミュージックビデオを撮ったら投獄される。ラップを歌ったら死刑判決を受ける。そういう国がある。
イランの音楽の自由の歴史
2人のミュージシャンとその曲を通じて、近年のイランで音楽を作ることがどういうことかを確認した。では、今日の状況はどこから来ているのか、イランの音楽史を確認してみよう。
イランでは1970年代にポップミュージックが花開いた時代があった。民族楽器にエレキギターを融合させた音楽が発展し、グーグーシュのような人気歌手が活躍していた。
例えばグーグーシュの『Talagh(離婚)』(1975)は、サイケな雰囲気のエレキベースが印象的な曲だ。「聞いてくれ、道連れよ。私たちは傍観者ではない。私たち自身が痛みそのものだ」と、共に苦しみの道を歩む者同士の連帯を歌っている。
ところが、1979年のイスラム革命でポップミュージックが禁止された。多くのミュージシャンが海外、特にロサンゼルスに亡命して音楽活動を続けた。グーグーシュ本人はイランに残り、21年間歌うことを禁じられた (Wikipedia: イラン・ポップ)。
1990年代に入り、イラン政府は海外で制作されるイラン・ポップに対抗する形で、政府管理下の「正統な」ポップミュージックの制作を推進し始めた。ただしこれは「自由」ではなく、内容を管理しながら認めるという話だ。1979年の革命以来、女性が公の場で独唱することは禁じられており、政治的な内容や西洋的な影響を受けたラップやロックも禁止または厳しく制限されている (RFE/RL、筆者注:原題 "Iranian Grammy Winner Hajipour Sparks Controversy With State-Sanctioned Album"=グラミー受賞のイラン人歌手ハジプール、政府公認アルバムで物議)。
2025年には少し変化の兆しもあった。文化省が野外コンサートの許可を出し始め、著名な歌手ホマーユーン・シャジャリアンが8年越しでテヘランでの無料コンサート許可を得た。しかし発表から48時間後に中止され、許可を出した副大臣は解任された。
テヘランでは今も、信頼できる人だけを口コミで招いて、古い邸宅を改装したカフェの奥で密かに音楽コンサートが開かれている。あるカフェのオーナーは「招待は口コミだけ。信頼できる人が信頼できる人だけを招く。もし噂が広まったらどうなるか、みんな分かっている」と語っている (The Urban Activist、筆者注:原題 "Music Gigs in Tehran Defy Iran's Cultural Red Lines"=テヘランの音楽ギグ、イランの文化的レッドラインに挑む)。
2025年末から今日まで
2025年12月末、リアル(イラン通貨)の暴落と物価高を受けてテヘランで大規模な抗議運動が起き、日本のマスコミも取り上げたのは記憶に新しい。イラン当局は全国規模のインターネット遮断を実施した。8100万人がネットから切り離され、ストリーミングサービスも使えなくなった。音楽は端末にあらかじめ保存していたものを聴くしかなくなった。
それでも人々はカフェで何十年も前のイランの音楽をかけていた。ウィーンから一時帰国していたあるイラン人男性は、恋人と送り合った曲を繰り返し聴いたという。「痛みの瞑想をしようとしていた」と彼は語っている (Rolling Stone、筆者注:原題 "When Iran's Government Cracked Down, the People Still Had Music"=イラン政府が弾圧しても、人々にはまだ音楽があった)。
2025〜26年の抗議運動では、2022年のように著名なアーティストが表立って声を上げることは減った。組織的な弾圧の結果、多くのアーティストは匿名の視覚作品、暗号化アプリを通じた音楽やグラフィックの流通、学生ネットワークへの静かな支援といった形で参加している。それでも、ハジプールの「バラーイェ」は今もこの運動の感情的なサウンドトラックとして機能し続けていると言われる (Mimeta)。
そして2026年2月28日、米国とイスラエルによる攻撃が始まった。テヘランを含む複数の都市が爆撃され、「数日間の攻撃を計画している」と報じられている。土曜日の朝、数百万人が仕事や学校に向かう時間帯に攻撃は始まった (CNN)。
記事の出発点は「今日楽器を弾いていたかもしれない人、歌を口ずさんでいたかもしれない人のことを考えた」だった。つまり、日本にいる自分と同じように音楽を楽しんでいた人が突然爆撃で殺された、という想像は正確だろうかという疑問があった。
改めて調べるとその想像自体がすでにズレていることを確認した。イランの人は歌を作ったら逮捕され、ラップを歌ったら死刑判決を受け、コンサートは口コミの秘密集会で、インターネットは遮断されている。そもそも、音楽を楽しむことが危険を伴う行為になってしまっているのだ。
なので、自分の解像度の変化は、次の二重構造になる。「爆弾が落ちる前から、音楽の自由はすでに奪われていた」、これが一層目。そして「その弾圧の中でも音楽をやめなかった人たちの上に、今度は別の暴力が降ってきている」、これが二層目。
つまり、当初の「音楽を楽しんでいた人が殺された」という想像は、実は事態の一面しか見ていなかったことになる。
先回りして断っておくと、イランがこんな状況だからといって日本が素晴らしい国だという話をしたいわけではまったくないし、そのような読まれ方も望まない。この国にはこの国の問題がある。
あと、最近のインターネットのめんどくさい冷笑主義にエクスキューズを入れておくと、専門家ではないにわかの私が書いたこの記事に現状を変更できる力があるとは思えない。それでも、調べて反対だと言うことは何もしないよりはましな行動だと自分は判断した。何か言いたいことがあれば、私の書きぶりではなくこの記事が扱う問題に言及するのが適切な判断だと思う。
その上で、音楽をやっている人間として意見を言いたい。イランには、政府の弾圧の中でも音楽を楽しむことをやめなかった人たちがいる。その人たちの上に爆弾を落とすことに、自分は明確に反対する。音楽の自由を奪う体制も、その体制ごと人を殺す爆撃も、どちらも許されないと思う。そして、この爆撃を行っている米国とイスラエルに抗議する。