人にウケるような言葉、思いつくけれど書けない呪いにかかってしまいました。
うまく言いくるめようにも、そういうスキルがないので話にならないです。
だからボクは常に、ある程度の正しさとか、
人への言語的な優しさを持って話そうとします。
その限界は、表現力の乏しさとして現出してきます。
話が変わって、コミュ障っていったいなんなんでしょうね。
コミュニケーションというものにレイヤがあるとすれば、
ボクは言語的コミュ障だと思うのです。
それはもっぱら、表現力の乏しさゆえ。
行動するだけならコミュ障などではないのです。
ただし最近は行動に係る責任を言葉で表現する意識が大きくなってきたので、
副次的・行動レイヤ・コミュ障になってしまっています。
コミュニケーションは結構複雑なレイヤによって成立しているのですね。
さて、コミュ障はどうすればいいのでしょうか。
ボクはもっともっといろんな人と会話がしたいです。
正直に言えば、会話が成立した事実を成立させたいです。
でも、それだと会話の結果よりも会話自体の目的化が露呈してしまうので、
結果的に会話することになるようなサポートシステムが欲しいわけです。
たとえば、ボードゲームとかいいのではないでしょうか。
ボクはカタンというゲームが大好きで、今日も1人でカタンをしていました☆
※3~4人用ゲームです。
いらっしゃったら、ご連絡ください。いつでも待っています。
連絡をよこす、という行為はハードルが高いですけれど、
ハードルを越えた人をボクは歓迎いたします。
越えた以上の楽しみが待っています。
(※訳:カタンやりたい)