かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

植村論文『「ジェンダー化されたセクシュアリティ」について』を読む

 以前『「セクシュアリティ」の本質は多様性なのか?』という記事で、セクシュアリティ概念の考察にあたり植村恒一郎氏の論文を引用した。しかし、この論文においてセクシュアリティ概念がいかなるものであるかは植村氏の主要な関心ではない。つまみ食いの感が残ってはいけないと思い、論文の内容を整理して記事を書くに至った。

 論文タイトルは『「ジェンダー化されたセクシュアリティ」について : あるいは「セクシュアリティジェンダー化」とは』であり、2014年の論文である。文献情報は次の通り。

【出典】植村恒一郎『「ジェンダー化されたセクシュアリティ」について : あるいは「セクシュアリティジェンダー化」とは』群馬県立女子大学紀要 (35), 143-153, 2014
リポジトリURI】 【本文PDF(公開)】 

 それから、植村氏とみられるTwitter(@charis1756)を見つけた。近代西洋哲学のご専門でいらっしゃるらしく、このことは本論にヘーゲルが登場することで関係してくる。

 

 植村氏はポスト構造主義以降の「ジェンダー」が「我々を「男/女」の二項に強制的に割り振ろうとする知の力」と捉えられるようになった変化に注目し、それによって「セックス」や「セクシュアリティ」がどのような影響を受けるのかを考察している。表題にもある「ジェンダー化されたセクシュアリティ gendered sexuality」あるいは「セクシュアリティジェンダー化 genderization of sexuality」とは「性的二元性の影響を受けたセクシュアリティとはいかなるものか」という問題設定として考えられる。

 注意が必要なのは、従来のフェミニズムにおけるセックスとジェンダーはそれぞれ生物学的事実と文化的構築物として区別されていたのに対し、80年代以降のポスト構造主義フェミニズムにおいてはセックスもセクシュアリティも「ジェンダーの二分法によって異性愛秩序として構築され」たものとなり、その区別には慎重を要する点である。

 植村氏は、「セクシュアリティジェンダー化」を考察した石田仁氏の論文「セクシュアリティジェンダー化」(2006)*1から次の図を引用している。この図の目的は「性自認 gender identity」である「男/女」の二分法が他の要素*2とどのように関連しているかを表示すること」であり、「(1)ジェンダーとしての「男/女」、(2)セクシュアリティ、(3)セックスという三者の関係を表現」している。

図 植松氏の論文より引用:石田仁氏による「セクシュアリティのジェンダー化」の図

図 石田仁氏による「セクシュアリティジェンダー化」の図

 ※以下、引用内の下線部は、基本的に植村によるものである。

 植村氏は、この図が「性自認」というジェンダーが、セクシュアリティ*3と生物学的性別(セックス)との両方に二重に関わる」ことを示すと指摘する一方で、「性自認」というジェンダーセクシュアリティを決定するという決定論的な性別枠組みの問題性」を含むことも指摘している。「決定論的」とは、多様な性を表現するために導入された属性の他二方が他一方によって規定、束縛されている状態を指す。それは例えば次のような事態を引き起こす。

FtMレズビアン」……は、存在しそうに思われるが、この図では「ありえない」ということになっている。その理由は、生物学的性別ではなく性自認こそが、主体の「男/女」を決めるものであるから、性自認が「男」であるならば、その主体は自動的に「レズビアン」ではありえないからである。

 石田論文における石田氏の問題意識は「多様な性」に対する問題提起である。植村氏が指摘する通り、石田氏はいくら属性に分解したって結局ジェンダー*4じゃん(意訳)、と警告する。このようにして、セクシュアリティジェンダー化しているのであると*5

 植村氏は以上の考察について、「性自認 gender identity」が重要な役割を果たすことを指摘し、関心を「ジェンダー」概念に移す。植村氏は「ジェンダー」概念が歴史的に医学の現場に登場し、用いられてきた経緯を、高橋さきの氏の「身体性とフェミニズム」(2006)*6にしたがって概観している。

 次の引用は医学における「ジェンダー」概念の歴史を概観するものであり、ひと一続きの文章を【A】「ジェンダー」概念の成立パートと【B】「性自認 gender identity」概念の成立パートに筆者が分けた*7

【A】「ジェンダー」概念の成立

現代の英語圏においては、「ジェンダー」は生殖に関する医学用語としても用いられている。……「ジェンダー」概念が医療現場に登場したのは1950年代で、小児内分泌学の領域であった。染色体の観察方法、ホルモン投与など、医学が進歩して、生まれてきた新生児の性別異常、すなわち性分化・発達の異常を治療できるのではないかという希望が生まれた*8。その医療チームに加わったのが、心理学者のジョン・マネーであった*9。……マネーらは、外性器の形状とどの性として育てられたかの二つが「ジェンダー役割」ともっとも相関が高いと結論した。……ここで重要なことは、従来は性腺だけから性別が決定されたのに対して、各種要因を総合して性別を判定するという方式に変わったことであり、この総合の過程で「ジェンダー」という概念が必要になったわけである。

【B】「性自認 gender identity」概念の成立

性自認 gender identity」という概念は、こうした医療の流れの中で、精神科医のロバート・ストーラーが1964年に提唱した概念である。それは、「本人が自らをどの性(sex)に属すると考えているのか、すなわち、みずからを女性、男性のいずれと考えているのかについてのセルフイメージ」として定義された。……「性自認 gender identity」という概念は、今日こな性的二元性を前提しているという問題は孕んでいるが、当時は、医療現場の最先端をゆく、希望に満ちた新鮮な存在だったのである。

 植村氏は「「ジェンダー」概念の成立系譜の一つが医療現場であり……「ジェンダー」が「セックス」から区別して成立した意義」を評価する。それは、「性別はいかにして成立しているか」という問いに対して、石田氏と植村氏の「セクシュアリティジェンダー化」への眼差しを対比することで明瞭になる。簡潔にはつぎのAA図のように示せるはずだ。

 

AA図「セクシュアリティジェンダー」による性別の成立イメージ

【石田氏】
         ┏ 性自認 gender identity ━┓要素間の
         ┃「男/女」のジェンダー        ┃因果的な
   諸要素の  ┃           規定 ┃支配・
性別←組合わせ ←╋ 生物学的性別 sex   ←━┫被支配関係
 (実質ジェンダー)  ┃(ジェンダー化された)セックス   ┃
         ┃              ↓ 規定
         ┗ 性的指向 sexual orientation
          (ジェンダー化された)セクシュアリティ

 【植村氏】
             ┏ 性自認 gender identity ━━┓
    ヘーゲル的    ┃「男/女」のジェンダー      ┃
   「概念」による   ┃               ↓矛盾
性別←指向的・意味的  ←╋ 生物学的性別 sex ━━━━→  と
    な「総合」「止揚」┃ セックス            ↑対立
             ┃               ┃
             ┗ 性的指向 sexual orientation ┛
               セクシュアリティ

 

 上のAA図でいう「概念」はヘーゲルのそれであり、抽象的な思考対象としての概念とは区別されることに注意されたい*10。筆者はヘーゲルに明るくないので、付け焼刃の知識でもって、おそらくこう言いたいのだろう、という説明を試みる。

 植村氏の成立イメージにおいて重要なのは、FtMを例にすると、性自認が男であることはセックスが女であることをなんら否定せず、その「矛盾」と「対立」を受け入れ、それらの諸要素を統合して性別に「止揚」する点である。このようにして「概念は人間の自覚と意識を媒介して統一されている」。

 また、植村氏は人間が男性も女性も指向しないこともありうるというヘーゲル的「否定性」を含む「セクシュアリティ」が性自認にとって必要であるとする。これは、性自認によって主体の性別が決定しなければ性的指向が定まらないという問題を解決する為である。

 さらに言えば、そのような性的指向の規定のされ方が「生物学的な「セックス」と違い、性的指向、すなわち自分が指向する他者によって再帰的・反省的に定義される契機を含んでいる」点が重要である。石田氏の図のような性別の決定論的枠組みの問題性は、このようにして乗り越えられるのである。

 以上が植村氏の「セクシュアリティジェンダー化」であると筆者は解釈する。トランス当事者の筆者としては、男性の肉体を持つ人間が女性を好み、それでいて女性を自認する自分って矛盾だらけの存在じゃないかと悩んでいた時期があったので、心理的葛藤を乗り越える戦略として、植村氏の論は非常に得心がゆくものである。

 個人のセクシュアリティについて「ありのままでいいんだよ」という言い方がなされることがある。しかし、それは結局、本人の性別を構成する諸要素どうしの矛盾と対立を見過ごすものになってしまわないだろうか。もっと言えば思考停止していないか。筆者はそのような意味で無責任な説得に聞こえてならない。幸いにしてその手の説得を聞いた記憶はない。

 ともかくこれで論文の内容はおおむね説明できたと思うが、論文の末尾に興味深い記述が一箇所あるので紹介したい。

同性愛や性的マイノリティ、あるいは異性愛者にも含まれる両性具有的な契機は、コミュニケーションとしての性を一層豊にするものとして捉え返されたとき、偶然を必然に変える「自由な性」になるだろう。

 この「両性具有的な契機」とは何だろうか。性別というものの正体を暴く何かであるような気がしないだろうか。このことについては、いずれ別稿でテーマにするつもりである。

 

おまけ

 「両性具有的な契機」でググったら、論文の一節を適当にパクったっぽい「心理占星術家」のセミナー案内がヒット。

https://ameblo.jp/shun5555/entry-12319213444.html

こうした視点で自己理解他者理解を進めるならば、同性愛や性的マイノリティ、あるいは異性愛者にも含まれる両性具有的な契機は、コミュニケーションとしての美や性を一層豊かにするものとして捉え返されたとき、偶然を必然に変える「自由な自分」を発見できるのではないでしょうか。 

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*1:石田仁セクシュアリティジェンダー化」(江原・山崎編『ジェンダーと社会理論』、有斐閣、2006、所収)

*2:性的指向 sexual orientation、生物学的性別 sex

*3:文脈上、これは性的指向のことをさす

*4:植村流に言い直せば性的二元性の知の力

*5:石田論文の入った『ジェンダーと社会理論』が手元にあったのでこちらも読みました

*6:高橋さきの「身体性とフェミニズム」(2006、前掲書、所収)

*7:前掲書 pp.141-144

*8:曖昧な性別を異常とする治療主義であるとして批判を行うことも可能だろう。性分化疾患をめぐる患者の事例は示唆的である

*9:ジェンダー役割と性自認の関係を説いたマネー&タッカーのマネーです

*10:ヘーゲルの「概念」という概念である