かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

スカート男子生徒のニュースがジェンダーに切り込んでいて鋭い

制服を自由に選択できる広島県にある加計高校で、スカートを履く男子生徒を取材したNHKニュース記事があります。まだ読んでいない方は先に読んでみてください。

学校制服の選択肢が増えたというニュースを最近よく見かけるようになりましたけど、この記事はもう一歩踏み込んで問題提起している所が注目すべき点です。 

久保さん
「自転車をこいでいて車から見る目とか、コンビニに入っているときのまわりの大人とすれ違った時の目とか、奇異な感じで見られているなと感じました」

久保さん
「男性なのにスカートをはいているから、女性なのにズボンをはいているから、LGBTQ+なのではないかという意識が世間に埋め込まれていると、無理に性自認をカミングアウトすることになってしまうのではないでしょうか。そういう社会だと自分がはきたいほうを選びづらくなってしまいます」

スカートを履くのは男性らしくないという、男性のジェンダーに結びついた規範が存在することに気が付いた久保さんは、その規範が LGBTQ+ の人々の自由な選択を抑圧している可能性について言及しています。

つまり、服装に関するジェンダー規範が浸透している社会において、制服を自由に選択できるようにしただけでは LGBTQ+ に配慮したことにはならないのです。制度は自由でも、私達の選択が自由であるかどうかには社会規範が大きく関わってきます。

 

そして、ジェンダー規範は LGBTQ+ だけが影響を受ける問題ではなく、久保さん自身が男らしさの押し付けに不満を感じているように、その規範の存在する社会なら誰もが影響を受ける問題です。久保さんもまた、ジェンダー規範に疑問をぶつけ、抵抗していくことが大事だと考えているようです。

このように、学校制服は誰にでも関わりうるジェンダー規範の問題なのです。

 

これに関連して私は最近、(追記:学校制服の自由選択を謳うなら、)「男子制服」「女子制服」という性別に結びついた呼び方を避けてみるのはどうだろうと考えているので紹介します。

例えばスカートを指して「女子制服」と呼ぶのは、スカートは女子の身につけるものである(←→女子でないならスカートを身に付けないものである)という考え方を反映した呼び方ではないでしょうか。

建前上は自由に選択できるなら、スカートを指して「男子制服」と呼んでもいいはずなのですが、そういう話は聞いたことがありません。それに、本当に自由なら全ての制服が女子制服であり、男子制服ですよね。そこではもはや着る人間の性別による区別に意味が無いんです。

これは別に、完全に性別による区別を無くすべきと言っているのではなく、意味の無い区別はしない方がより利口なのではないか、私達の自由を狭めるような区別が本当に必要なのか、よくよく検討すべき事柄だと思うのです。

こうして批判してみるのも、ひとつの疑問のぶつけ方でしょう。

色々と示唆を与えてくれる記事でした。