文化人類学者の小田亮(1996)の研究によれば、かつての日本において現代でいう性的な事柄を表現するために用いられていたのは「色」や「淫」といった言葉であった。一方、「性」という言葉は「さが」「しょう」などの読みにみられるように生まれつきや本質を表す言葉として19世紀末まで用いられていたが、1880年代から1910年代の間に現代でいう性的な事柄を意味するようになった。このような意味での「性」の一端を、当時流通していた通俗的な「変態性慾論」の書物に見ることができる。
……ドイツの司法精神科医クラフト=エービング(Krafft=Ebing 1840~1902)が1886年に刊行した『性的精神病質』という本でした。
豊富な事例を提示しながら性的逸脱の種類・分類・原因を考察し、性的逸脱と精神病、そして犯罪との関係を述べたこの書籍はおおいに評判となり、何度も改定増補が行われます。日本でも1889年刊行の第4版の翻訳が『色情狂編』という書名で1894年(明治27)に出版されます。まだ同性愛という訳語はなく「反対性感覚」という言葉が使われています。さらに、第14版(1912年刊行)の邦訳が、早くも翌1913年(大正2)に『変態性慾心理』の書名で刊行されました。
……エービングの所説を日本的に展開して広く流布したのが、1915年(大正4)に刊行された羽田鋭治と澤田順次郎の共著『変態性慾論』でした。羽田と澤田は、大正期における通俗性慾学の大家ともいうべき存在で、『変態性慾論』は大正〜昭和戦前期にロングセラーを続け、大きな影響力を持ちました。
(三橋2008: 152-153、下線は筆者)
性別越境の社会文化史研究者である三橋順子(2008)によると、西欧、主にドイツから日本に導入された精神医学を背景とした「通俗性慾学」が知識人らによって展開され、元々は「普通と体裁が違うこと」を意味していた「変態」という言葉は、まさに「性」的な変態、「変態性慾」を指すようになったのである。
ところで、『変態性慾論』において注目に値するのは、同書で現代用語でいう同性愛にあたる「顚倒的同性間性慾」の下位分類にあたる「女性的男子」「男性的女子」である*1。
「女性的男子」は、「男子にして、精神的に自ら女子と感覚するもの」と定義され、その感情・性格上の異常は、小児の時から「女装を為し」、女児と遊び、「人形を弄し」、遊戯においても「飯ごと」「毬つき」「唱歌」を好み、男子の遊戯を顧みず、やや長じては「家事の手伝」「料理」「裁縫・刺繍」を好み、「化粧に憂き身」をやつし、成人後も「服装」「装飾」「芸術」「舞踏」「音楽」などを趣味とし、「文学を愛す」るが、「飲酒」「喫煙」「野球」など男性的行為を好まないという特徴が観察されるそうです。そして「最も好むところのものは、女装を為すこと」で、「事情の許す限りは、常に女装を着けて、女子の如く、見られんことを希望する」とされます。
(三橋2008: 155、下線は筆者)
ここでいう「男子」「女子」という言葉は、例えば1925年(大正14年)公布の「普通選挙法」によって実現した「男子普通選挙」*2という言葉にみられるように、現代で言うところの「男性」「女性」を意味するものとして読み替えることができる。現代の「女子部屋」「女子便所」「女子風呂」といった呼称はこの名残であろう。
他方の「女性」「男性」はそれぞれ「男子」、「女子」に対する形容修飾であり、いわゆる現代用語の「女性性」(女性らしさ)、「男性性」(男性らしさ)を意味するようにも見える。しかし、「女性的男子」の「女性」と対応すべき「女子と感覚する」「女子の如く、見られんことを希望する」という記述からは、いわゆる性自認の水準が見てとれる。また、文脈としてこの「女性」、「男性」という言葉には変態性慾の意味を担わされていることに注意すべきである。こうして見ると、ここでいう「女性」「男性」という言葉には、この時すでに「性」にからんだ様々な水準が含まれていることがわかる。つまり、「女性」「男性」という言葉は初めから「女性」「男性」という言葉として登場したのではなく、「女性らしさ」や「女子という心理」が実体として存在するという素朴実在論的な誤解を含みながら「女-性」「男-性」という言葉が作成されたと見るべきであろう。
◆参考文献
森山至貴,2017,『LGBTを読みとく――クィア・スタディーズ入門』筑摩書房.
日本公文書館 デジタルアーカイブ,2015,「公文類聚・第四十九編・大正十四年・第一巻・皇室門・内廷、政綱門一・詔勅・法例・帝国議会一」,(2019年11月20日取得,https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/F0000000000000006687).