「女性」「男性」という今では当たり前に使う言葉は、実はそれほど古くから存在していたわけではありません。これらの言葉がどのように生まれ、どのような文脈で使われ始めたのか。本稿では、19世紀末から20世紀初頭にかけての日本語における「性」概念の変遷を追います。
文化人類学者の小田亮(1996)の研究によれば、「性」という言葉は19世紀末まで生まれつきや本質を表す言葉でした。それが1880年代から1910年代にかけて、現代的な性的な意味合いを帯びるようになったのです。
この時期、ドイツの精神医学が日本の性概念に革命的な影響を与えました。クラフト=エービングの『性的精神病質』は、性的逸脱、精神病、犯罪の関係を詳細に論じた画期的な書籍でした。日本では1894年に『色情狂編』として翻訳され、1913年には『変態性慾心理』として第14版の邦訳が出版されています。
三橋順子(2008)によれば、元々「普通と体裁が違うこと」を意味していた「変態」という言葉は、西洋精神医学の導入により、性的な文脈で特定の意味を持つようになりました。1915年に出版された『変態性慾論』は、大正から昭和戦前期にかけて大きな影響力を持ちました。
『変態性慾論』における「女性的男子」の記述は、当時の性と性別に関する理解を象徴的に示しています。この概念は、現代で言うところのトランスジェンダーや性自認に近い観察を含んでいましたが、当時は同性愛と混同されていました。
最も重要な洞察は、「女性」「男性」という言葉が、初めから現代的な意味で使用されていたわけではないという点です。これらの言葉は、「女性らしさ」や「女子という心理」といった素朴実在論的な理解を含みながら形成されてきました。
当時の文脈では、「女性」「男性」という言葉は、単なる性別を示すものではなく、性慾や心理的特徴、社会的役割などを複合的に表現する概念として理解されていたのです。
19世紀末から20世紀初頭にかけての日本では、西洋の精神医学の影響を受けながら、「性」や「女性」「男性」といった概念が急速に再定義されていきました。この過程は、単なる言葉の意味変化にとどまらず、社会における性と性別に対する理解の根本的な変容を示しているのです。
「女性」「男性」という言葉は、突然現れたわけではありません。むしろ、複雑な社会的、学術的文脈の中で、徐々に形作られてきた概念なのです。これらの言葉の歴史を紐解くことは、私たちの性に対する理解がいかに変化してきたかを知る鍵となるでしょう。