かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

【読書】『トランスジェンダー入門』

SNSでトランスの話題をすることが非常に少なくなった。というのも、近年はトランスへの偏見や誤解に基づく時には悪意すら感じるヘイト言説を目にする機会が非常に増えたからだ。特にトランス女性とシス女性の対立構造を煽るようなものにフォロワーの一部が感化されてしまっていることに不安を覚えている。

界隈でトランスが話題になっていることはトレンドから窺い知れるが、見に行けば決まって精神をすり減らされることは分かっている。この手の話題を本気で受け取る人が増えるのではないか? トランスへの不信感を持つ人が周囲に現れるのではないか? そしてその不信感が私にも向けられるのではないか? という具合に人間不信に陥るからだ。

特定のトピックを扱うコミュニティに親和的な人は、その親和性を示す機能を備えたキーワードを用いる傾向にある。トランスの話題なら「トランスカルト」という言葉を使う人が、三年前にははてなブックマークにすでに現れていた。その実態は寡聞にして知らないが、きっと「私はトランスの主張に対立的な立場ですよ」というアピールと捉えて問題ないだろう。

そのお陰で、新しく見つけたキーワードがヘイター用語なのかそうでないのか、トランスにとって重要な概念なのかそうでないのかを区別することが難しくなった。正しく判断する過程で神経を消耗するような文章を目にしなければならないからだ。学生時代には論文を書くための情報収集の一環として、巷間の話題にアンテナを立てていたが、やめておけば良かった。

それでもそうしなければならなかったのは、トランスの情報源が乏しかったからだ。『トランスジェンダリズム宣言』は90年代末の本だし、明石書店の『セクシュアルマイノリティ第三版』も十年前の本になる。『LGBTを読み解く』は同性愛者との歴史的な関係性に焦点が当たり、ノンバイナリーへの言及は無かった。『性同一性障害社会学』はトランスが人生で直面する困難を扱いつつも、「これがトランスの本だ」と言うには不安が残った。

しょうがないのだ。トランスが生きていく課題を扱うには、様々なことに触れなければならない。最新の社会状況も変わっていく。どれを読んでも「この本はあれの言及が甘い」といった不安が残り、当事者にもアライにも安心して勧められる本はなかなか無かった。

そういう意味で『トランスジェンダー入門』は話題の網羅・キーワードの提供・最新状況のキャッチアップを備えた待望の書だ。特に、新書サイズに収まる分量で、シスジェンダーに分かる言葉で、一貫した鋭い問題意識で書かれているのは、周司あきら氏の作家としての腕が発揮されているということなんだろうか。

中には「え、そこまで言ってもいいの?」という記述もそこそこあった。そう感じたのは、「トランスだから仕方ない」ことだとか「これはシスに受け入れてもらえないだろうから謙虚に諦めよう」と処理をすることで「わきまえて」きた部分が私にあったんだろう。しかし、それはトランスなのにシスの思考をなぞっているだけだし、言いたいことがあれば別段わきまえる必要はないし、そのことでペナルティを受けるのはおかしい。このように、トランスがシスの顔色を窺うことに大した意味はないのだと気がついた。

そんな本書をアライでありたいという人にはぜひ直接買って読んでもらいたいが、せっかくなので私の注目した内容を一箇所ピックアップしてから、感想を終えたい。

pp.69-71 性別移行

性別移行は生活のさまざまな「場」で時間をかけて進めていくものであり、「今日から男」「今日から女」といったふうに簡単なものではなく、完全な性別移行=「埋没」を目指す過程では過去の友人や実家と縁を切るなど、多くの場合はやむを得ずに「場」を切り捨てることもある。したがって、これはトランスではない人たちが受け止めるべき問題でもある、という内容である。

もしあなたがそう思わないシスジェンダーであるなら、女性なら明日から(女性のアイデンティティがあるのに)男性として生きるにはどうすればよいか、男性なら明日から(男性のアイデンティティがあるのに)女性として生きるにはどうすればよいか、具体的にプランを考えてみてほしい。異世界転生やファンタジー世界としてではなく、あなたの現実の生活の問題として考えてみてもらいたい。

おそらく、家族や友人や職場などの様々な場で「本日からこのように生きますので」と主張すれば通用するなどとは到底言えないはずだ。しかし、それでも諦めずに一つひとつの「場」で性別移行を進め、自己実現して自分の人生を獲得しようとするトランスたちがいる。これこそがシスとの決定的な差にほかならない。そのようなトランスの生き方がジェンダーアイデンティティを持つということであるし、もちろんシスのあなたにもジェンダーアイデンティティがあるのだ。

本書は、トランスが人生をサバイブする方法に繰り返し触れながら、かれらが一朝一夕では揺るがないようなジェンダーアイデンティティを持っていることを同時に教えてくれる。