かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

浜松Ruby会議01 簡単な感想

諸用でこの後真夜中に車に乗り込んで西伊豆に行かなければならなくなったので、簡単に書きたいなと思います。っていうのは、こういうイベントに来いて同じプログラムを書く人間の話を聞くと色々と生産性の高い考えに到達できるんですけど、一週間すると日常モードに戻ってて、あの頃の熱意はなんだったんだろうみたいなのがあって、要は今あるモチベーションを忘れないための覚え書きです。一応スタッフ参加でしたけど、まずは個人的に書きたいことだけ。

目標と物語

最近Trelloでだいぶ学習管理がしやすくなった気がしていたけど、それは小目標に過ぎなくて、たとえ半年過ぎても半年分の成果がばらばらとしていて次へのモチベーションに繋がらない可能性が出てきた。そこで、長期目標として「この1年でアプリを1個作る」とか「Qiitaで100contributionする」とかいった大目標を立てれば、小目標の立て方の目安になるし、小目標を達成したことに意味付けができて凄い嬉しくなる。

個人的な日常観として、終わりなき日常、変わらない日常みたいなのがあって、そのなかで自分の成長は物語を破壊してしまわないかっていう他人にとっては非常にどうでもいいけど自分にはどうでもよくない葛藤があって。それでも否応無しに成長はするんですけど、そこでは自分のすぐ右に成長した自分が生成され続けるんじゃなくて、常に新たな知識や能力を得た自分が過去の自分を抹消して「最初からそうであったように」自分をインスタンス生成する感じ。ゆゆ式みたいな感じ。

とまあそういう自意識の問題と、学習管理が矛盾や衝突を起こさなければいいなーと思った。

コミュニティの価値

札幌Rubyの島田氏が今回「たのしいRuby」まえがき朗読してくださったんですけど、Ruby自体が楽しいのではなく、楽しいのはプログラミングという行為であって、Rubyがプログラミングを楽しくするための道具であるとともに、他の言語への可能性を開くものになればいいなと。人生は有限ゆえに楽しさも有限で、プログラミングを楽しさも有限であるといった時に、楽しさを分かち合えるのがコミュニティの価値なのだろうと。

なんか自分は手当たり次第にその辺の勉強会に潜ったりしてた時期があって、半ばそれ自体が目的みたいな感じになって途中で絶望してたけど、納得できる話が聞けたのでしばらく安定期に入れそうで安心している。

なんか、つらいつらい、こわいこわいっていうプログラミングやめたい。

いや別に今日の発表がつらそうとか怖そうとかそういうんじゃなくて、みんな姿勢が諦めてないんですよね。このままでたまるかっていう気持ちで駆動して今こんな素敵な結果が得られてるみたいな感じで。何年後か、次回の浜松Ruby会議02とかで自分がそういうこと言えるほど幸せにプログラミングできてたらいいなって思える発表でした。ご登壇くださった方々ありがとうございました。

 

なんかもっと書けそうな気がしたけどとりあえずこれだけかなー。