かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

2016-11-02(水)

更新日付上,このブログの継続記録がリセットされてしまっているが,今日もきちんと書いている。なんとなく,この期間はブログ行動が続いているだとか,ちょっと期間が空いてしまっただとか,という情報を更新の周期性から取り出して,なんらかのガジェットの中に可視化できると面白そうだ(昔,同期がデータの時間的な周期性を検出してその意味を得る卒研をやっていた)。

というわけでこのブログは継続16日間を迎えている。よろしく。

【追記】更新してプロフィール見たら「継続期間: 4 週間」ってあった。はてなブログすごい! 手のひらクルー

 

朝8時に起きて13時から18時までアルバイトをして帰宅。眠気をずっと感じていたのでかなりだらけた。『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』#4「犯人は我聞悠太だ」と『South Park』s20e06「Douche and a Danish」を観たけど感想を書く気力も無いので書かない。

デンマークの攻撃に怯えたエリック・カートマンがダメなところを久しぶりに見せたけど,カートマンはやっぱり屑だね,じゃなくて,ハイディへの気遣いの結果という見方を示したい。今のカートマンはまだ見ていられる綺麗さがあるので,もう少しあのままでいて欲しい。

 

明日からゼミ合宿で彦根に行く。学割発行を忘れたのが痛い。資金は十分にあるからいいけど。そうだ,朝にゼミで使う筒井淳也氏の『仕事と家族』(中央公論新社,2015年)が届いて,一気読みしたんだった。

 ざっくり要点を言うと,少子化の要因は未婚化にあって,未婚化の要因は女性の高学歴化と経済停滞にある。女性の労働力参加率の向上は出生率をもたらしているが,共働きについて国際比較すると,アメリカ・スウェーデンでは成功しているが,日本・ドイツ・イタリアでは「男性稼ぎ手モデル」が中心であるため失敗している。日本において共働きが困難な理由として,男性社員の労働の「無限定性」が挙げられている。この働き方は育児にマッチしないため,女性の選択肢はパート労働に限定されてきた。この問題について,著者はエスピン=アンデルセン(1947~)のモデルに沿って,男女両方の労働力参加率の向上がポイントだと指摘する。

最終章でようやく家族について触れる。家族が自給自足するサービスのうち,どうしても市場や政府といった外部の担い手によって外部化するのが難しいとされるのが「ケアワーク」である。子育てとか介護とかの。

日本には家族福祉のための財源的な問題がある一方で,家族が担う福祉(ケアワーク)を公的主体が担うこと自体は,スウェーデンを例にとっても全く問題はずだが,そうした福祉の外部化が家族を潰すと主張する「家族主義」も存在する。重要なのは家族形成の負担を軽減する「家族重視」の福祉であり,社会全体がそういった意識を持つことである。

とりあえず今文章としてまとめられるのはこのくらい。明日行きの電車内でもう一度読んで整理しよう。

 

書きながら,研究室での雑談で,ある子が「目には目をはやっていいと思う」と発言していたのを思い出した。細かい含意は記憶から抜け落ちていたけど,正当な報復があるはずだとする主張だった。これを聞いて,B3ゼミで学んだギデンズの犯罪と刑罰の歴史的変容を思い出した。中世村社会の刑罰は見せしめの意味も含んだ残虐なものが存在したが,残虐性が初めから指向されたわけではない。その子のなかで,何が残虐で正当であるかという基準が,おそらくたまたま居合わせたメンバーとずれていたのだ。ゼミ合宿でもう少し話せたらいいなぁと思う。

 

つーか,起きれるのか? まぁ,起きれるには起きれると思うし,ちょっと遅れたら最悪新幹線だな。わはは。

 

2016-11-02(水)おわり