次→(第5章)坂本佳鶴恵「ジェンダーとアイデンティティ――ゴッフマンからバトラーへ」内容まとめ
ここから一連の記事を書いていく動機
筆者はジェンダー論に関係するテーマに修士論文を書いていますが、社会調査および社会史的分析に比重を置いているとみられる教授の指導をのん気に受けていたところ、ベースとなる理論的先行研究が全く抑えられていないことに気づき、危機感を感じました*1。
そこで、今まで触れた書物の中でジェンダーをテーマにさまざまな理論的アプローチを紹介する『ジェンダーと社会理論』(2006 有斐閣)を使って、まずは最低限の先行研究を抑えるところから始めることを決意しました。ぶっちゃけゴッフマンのパッシング理論あたり*2が狙い目になることは分かっているのですが、いちおう社会学を専攻する者として必須教養として抑えようという意図もあります*3。
このまとめの目的
本文で著者が整理している理論と先行研究を簡単に確認可能にすることです。悪く言えば孫引き事典になると思いますが、参照を楽にする意図でやります。文章の性質上、著者の地の文が出典の丸括弧を内包する場合は、出典ごと地の文をかぎ括弧で引用します。
こうした作業は機械的に見えながら、それが引用される論理の確認を必要とするので、少なくとも筆者には利益があります。作業の結果生まれた副産物である当記事の読者に対する利益は保証しかねます。
・かぎ括弧引用の直後に丸括弧の無いものは、加藤の地の文章とします。
・加藤の地の文章で、三点リーダ2つ(……)は省略を表します。
・カンマ(,)は読点(、)に置き換えています。
本記事の対象と出典
第1章 加藤秀一「ジェンダーと進化生物学」(pp.9-24)
江原由美子・山崎敬一 編『ジェンダーと社会理論』(有斐閣 2006) 所収
[pp.11-12]
1 進化の起源へ――「性別」の起源という謎
[p.11]
◇ 遺伝子の攪拌:〈原初的セックス〉
「もっとも基本的な意味では、性(sex)とは遺伝的組換えのことである。(……)広義の生物学的定義によれば、性の意味は簡単で、別々の起源をもつ遺伝子を組み合わせて、新しい個体をつくることである」(Margulis and Sagan 1997=2000: 14-15)*4
「私たち人間がこのような意味での性を生殖――個体数を増やすこと――と混ぜこぜにしてしまうのは、みずからが有性生殖する種に属しているがゆえの偏見にすぎない」
◇ 有性生殖、そして性別(セックス)の成立
[p.12]
「有性生殖がなぜ進化することができたのか。……自分自身が分裂して増える生物に比べて、性別を持つ生物には、うまく配偶相手を獲得しなければならないというコスト(損失)があるのだから。果たして有性生殖は、それを補って余りあるベネフィット(利益)をもたらすだろうか? この問いに対する解答の試みはたくさんあるが、決定的と言える説明はまだないようだ(Margulis and Sagan 1986=1995; Maynard Smith and Szathmáry 1999=2001: ch. 7; Ridley 1993=1995: ch. 2)*5」
[pp.12-14]
2 「進化」とは何か――ダーウィン進化論のエッセンス
[p.12]
◇ 進化:遺伝子頻度の変化
「ダーウィン的な意味での「進化」とは、生物が世代の更新を通じてその形質(形態や行動の特徴)を変化させていくことである。そのためには、親が子に自分の形質を伝える遺伝というメカニズムが不可欠である……。現代進化生物学では……、進化を「ある集団中における遺伝子頻度の変化」と定義する」
◇ 自然淘汰と性淘汰
[p.13]
「自然淘汰とは、……より環境に適した形質が集団中に広まっていく過程をさす(長谷川・長谷川 2000: 11-12, 25-26 を参考にまとめた)*6」
「自然淘汰の考え方だけでは説明できない現象もある。たとえば、クジャクのあの立派な尾羽はどう見ても生存率を上げるのに役立っているようには見えない。……つまり自然淘汰上は不利なのだ。それではクジャクの尾羽はどうして進化したのだろう?……このした謎に答えるためにダーウィンが考えたのが、性淘汰というもう一つのメカニズムであった」
[p.14]
◇ 性淘汰のメカニズム
適者繁殖
「進化に本当に必要なのは「適者繁殖」なのである。……生存率が同じなら、繁殖成功度(生涯に残す子どもの数)の高い個体のほうが、より多くの子孫、すなわち遺伝子を残すことができる。……繁殖成功度の違いは……配偶相手を獲得するための競争に勝つか負けるかということである。そのような競争の代表的なパターンとして、「オス間競争」と「メスによる選り好み」が挙げられる」
選り好みの進化
「性淘汰、とりわけメスによる選り好みの具体的なメカニズムについては、今も盛んな議論が繰り広げられている」
「選り好みをするメスの遺伝子と選り好みされるオスの遺伝子が共振するように増えてゆくとする「ランナウェイ・モデル」(R. フィッシャー)や、大きな羽飾りの負担にもかかわらず生き延びているオスの優秀さをメスが見抜くとする「ハンディキャップ・モデル」(A. ザハティ)といった知的興味を掻き立てる解答案が提出されている(詳しくは、長谷川 2005)*7」
[pp.15-20]
3 進化生物学からジェンダーへ
[p.15]
◇ 人類の進化的理解
「人間に特有の精神活動、とりわけ豊かな言語能力も、脳という臓器の働きである点では、胃が食べ物を消化したり、心臓が血液循環に働くことと変わりはない。そして脳は、数多くの遺伝子群が長い時間をかけて淘汰されることを通じてつくりだされたのであり、……進化(遺伝子)が人間の精神現象(個人レベルの心理、社会レベルの文化)に影響していることは当然なのだ(Dennett 1995=2000)*8」
「もちろんそれは進化「だけ」が重要だということではない。……遺伝子と環境は複雑に絡みあっているのだから、そもそも両者を二者択一と見るのは誤りなのである(Ridley 1999=2000)*9」
◇ 人間における性差の進化
嫉妬の進化心理学
「動物のオス(まれにメスの場合もあるが)には、自分の配偶相手を他のオスと配偶させないように囲い込んだり、ライバルのオスを追い払ったりする行動が見られる(配偶者防衛)。進化心理学者のデイヴィッド・バスは、このような配偶者防衛が人類においても進化し、現在も「嫉妬」という感情の性差に痕跡をとどめていると考えた(Buss 2000=2001)*10」
[p.16]
脳の働き方の性差
「心理学者で自閉症研究の大家であるサイモン・バロン=コーエンは、「女性型の脳は共感する傾向が優位に」に、「男性型の脳はシステムを理解し、構築する傾向が優位」にできていると言う(Baron-Cohen 2003=2005: 10)*11」
[pp.16-17]
「バロン=コーエンの大胆にして明快な議論は興味深いが、心理的性差に関する学説は完全に確立したものではなく、こうした図式化に反対の見解も数多く出されているということには注意が必要である(スティーヴン・ピンカーとエリザベス・スペルキとの討論の記録 http://www.edge.org/3rd_culture/debate05/debate05_index.html を参照)」
[p.17]
◇「ジェンダー」を再定義する
2つの誤謬:生物学的決定論と文化・環境決定論
「人間という存在は、生物学的要因と文化・環境要因の複雑な絡みあいによってかたちづくられるのであり、どちらか一方がすべてだとする考え――生物学的決定論および環境決定論――はいずれも間違っている」
「しかし残念ながら、聞きかじった生物学(風)知識を誤用・濫用して、でたらめな「生物学的決定論」をまき散らす情けないオトナは、残念ながらいまだに後を絶たないのである……反対に、性差別や人種差別に対する抵抗の言説に時折見られる、生物学を持ち出すこと自体を全否定する傾向は、……やはり非科学的だと言わざるをえない。生物学的要因と環境要因の絡み合いというまっとうな命題は、残念ながらまだけっして地の常識にはなりえていないのだ」
[p.18]
二分法の曖昧さ
「結局、セックス/ジェンダーの境界は流動的かつ相対的であり、それぞれの概念を厳密に定義することは難しい。けれども、……そこにはさまざまな意味を充填することが可能であるという事実を肯定的に認めるべきなのだ。社会理論における概念とはあくまでも現実の現象を理解するための道具にすぎないのだから、必ずしも厳密に定義を固定しなくとも、議論の目的や分析対象に応じて、その都度意味を明確にしながら利用できればよいのである。」
セックスとジェンダーの(さしあたりの)再定義
「まず、セックスという言葉で、有性生殖に密接に関連づけられる行動・形質をさす。マーギュリスたちの示唆的な表現を借りて「配偶相手を見分ける信号の全体」と言ってもいい(ただし彼女たちは、遺伝的組み換えという意味のセックスと対比してこれをジェンダーと呼ぶので紛らわしいのだが。 Margulis and Sagan 1986=1995: 299)*12」
[p.19]
「他方、ジェンダーとは、セックスの作用を受けながらも自律的に存立し、逆にセックスをつくりかえる文化的規範をさす」
性別を〈認知〉することと〈正当化〉すること
「〈認知〉の水準、要するに事実として私たちが男と女を見分けるようにできているという事実と、「人間の性別は2つしかない、男と女しかいない」といった文を発話したり、そのような前提のうえに法律や制度を構築することは、まったく次元の違うことである。後者は、生物学的事実の〈認知〉とは違って、すでに「そうあるべきだ」という規範性を帯びた発話行為、すなわち二元的性別システムの〈正当化〉だからである」
[p.20]
「たしかに人間社会から「男と女」という性別観念がなくなることはありえないだろう。けれどもそのことは、多数派の性別観念によって抑圧され傷つけられる人たちがいることを知ったうえで、「性」の多様性をできるかぎり尊重しながら、より望ましい社会運営を模索していくことさえもが不可能だという理由にはならない」(「多数派」以降は加藤による傍点「・」あり)
[pp.20-24]
4 生物学の誤用について
[p.20]
◇ 女性への偏見に満ちた生物学史
「生物分類学の基礎を築いたカール・リンネが、人類を含む「哺乳類」(mammalia)という分類名に込めた意図……18世紀ヨーロッパでは一般的だった、母親が赤ん坊を乳母に預ける風潮を苦々しく思っていたリンネは、女性の存在理由は授乳機能にあるという自分の信念を込めて、この奇妙な分類名を選んだのである(Schiebinger 1995=1996)*13」
「先に紹介した性淘汰の理論、とりわけメスによる選り好みというアイデアは、実は最近までほとんど無視されていた。……「男の性欲は能動的、女は性的に控えめ」(であるべき、であるはず、である!*14)という人間社会の、そしてほとんどが男性である生物学者たちの偏見が、生物学にも影を落としていたことだったのである(Hrdy 1981=1982; 1999=2005)*15」
[p.21]
「今日では性淘汰の理論は広く認められ、進化生物学におけるもっともホットな領域の一つになっている。人間の言語や文化全体を性淘汰から説明しようという企てさえ出てきているほどなのだ(Miller 2000=2002)*16」
◇ ダーウィンなんか怖くない:生物学で人間社会を語るための注意事項
自然主義の誤謬
「「生物学的な性差があるかないか」という問いはフェミニズムにジレンマを引き起こしてきた。……正しくは、生物学的性差があろうとなかろうと、性差別や性別役割を押しつける理由にはならない。それらは性差という事実問題とは別次元に属する、道徳的価値判断の問題だからである(江原 1988)*17」
本質主義の誤謬
「本質主義とは、ある人がもっているさまざまな属性のうち、特定の属性だけでその人の価値を測るような思考法である」
[p.22]
「性別や人種や年齢といった特定の属性を人間の本質として扱うことは社会的差別の温床である。さらにそれは人びとの多様な個性を灰色の一般論で塗りつぶし、一個の人間の複雑さや絶えず変化していく可能性を限定するがゆえに、人間の自由と尊厳を重んじる観点からは厳しく批判されてきた(Beauvoir 1949=2001; Arendt 1958=1994)*18*19」
「科学とは本質的に本質主義的な営みである。……進化生物学が人間を取り扱うやり方も、それが科学である以上、どこまでも本質主義的である。……それでは人間を対象とする生物学は、本質的に*20差別的でしかありえないということなのか?」
統計学を個人に横滑りさせる誤謬
「科学は一般的な対象を取り扱う。……一般的とは……通常は「平均」という統計的概念が用いられる。生物学者が性差についてあれこれ言うときには、一定数以上の男たちと女たちを調べて、それぞれの個体群の平均値を比較しているのである。それは逆に言えば、平均的でない対象を例外として切り捨てるということである。……そう考えると、生物学がマイノリティと相性が悪いのは当然であるようにも思われる。」
「何よりも重要なのは、個人(要素)と集団(集合)という2つのレベルを区別することだ」
[pp.22-23]
「ここで問題なのは……平均値を個人に直接当てはめるような推論の間違いである」
[p.23]
◇ 最後に、そしてその先へ:セックス/ジェンダーに先行する〈ジェンダー〉
「人類が言語を獲得し、文化を発達させたとき、その内部に生物学/文化という二分法そのものが包み込まれた。それ以後、いかなる差異も、……言語に代表されるシンボルによって表象(representation)されることになる。そのような表象の運動を、セックスと対比されるジェンダーと区別して、高次の〈ジェンダー〉と呼ぶことができる(Butler 1990=1999; 加藤 1998; 2001)*21*22*23」
[p.24]
「必要なのは、ジェンダーがセックスの延長であり、かつセックスの表象がジェンダーによって生み出されるという循環の内部に私たちがとらわれていることを自覚することであり、言い換えれば、構築されるものであると同時に構築するものであるというジェンダーの両義性をどこまでも保持することである」
(まとめはここまで。)
振返りと今後
途中から加藤氏の論も追う感じになったんですけど、加藤氏の論を引きたいときに必要だなと思って後出しジャンケン式に積極的に(ただしシンプルに)引用することに決めました。出典、特に洋書は書くのがしんどかったですけど、大体誰によって訳されているのかとか、版の違いがありうるとかそういう細かい気づきが得られたのは収穫だと思います。
16ページに5時間割いたんですけど、やる気の問題もあるので次は飛ばしてゴッフマンに言及してる第4章に飛ぼうと思います。あとは石田仁氏の論文が含まれる第10章、鶴田幸恵氏が共著の論文が含まれる第11章。あとはまとめ書く書かないに関わらず読もう。
あと、記事のプレビューで脚注に出典がズラズラ並んでるの、筆者は何も生産していないのに見ていて気持ちがいいですね。おわり。
*1:指導教員の指導に問題があると言いたいのではなく、能力をそれなりに信頼されている故あれこれ言われない関係に甘えて研究を怠った自分に責任がある
*2:そして鶴田幸恵氏による後続研究
*3:そもそも社会学プロパーな学部、大学院ではないので、大学カリキュラム批判は当を得ない。学生には自力救済が求められる環境で、とてもつらくきびしい。
*4:Margulis, L. and D. Sagan, 1997, What Is Sex?, Simon & Schuster.(=2000, 石川統訳『性とは何か』せりか書房)
*5:Margulis, L. and D. Sagan, 1997, The Origins of Sex: Three Billion Years of Generic Recombination, Yale Univercity Press.(=1995, 長野敬・原しげ子・長野久美子訳『性の起源――遺伝子と共生ゲームの30億年』青土社)
*6:長谷川寿一・長谷川眞理子、2000、『進化と人間行動』東京大学出版会
*7:長谷川眞理子、2005、『クジャクの雄はなぜ美しい?(増補改訂版)』紀伊国屋書店
*8:Dennett, D., 1995, Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meanings of Life, Simon & Schuster.(=2000、山口泰司・大崎博・齋藤孝・石川幹人・久保田俊彦訳『ダーウィンの危険な思想』青土社)
*9:Ridley, M., 1999, Nature via Nurture: Genes, Experience and What Makes Us Human.(1995、長谷川眞理子訳『赤の女王――性とヒトの進化』翔泳社)
*10:Buss, D., 2000, The Dangerous Passion, Bloomsbury.(=2001、三浦彊子訳『一度なら許してしまう女 一度でも許せない男――嫉妬と性行動の進化論』PHP研究所)
*11:Baron-Cohen, S., 2003, The Essential Difference: The Truth about the Male and Female Brain, Perseus Books.(=2005、三宅真砂子訳『共感する女脳、システム化する男脳』日本放送出版協会)
*12:Margulis, L. and D. Sagan, 1986, The Origins of Sex: Three Billion Years of Genetic Recombination, Yale Univercity Press.(=1995、長野敬・原しげ子・長野久美子訳『性の起源――遺伝子と共生ゲームの30億年』)
*13:Schiebinger, L., 1993, Nature's Body: Gender in the Making of Modern Science, Beacon Press.(=1996、小川眞理子・財部香枝訳『女性を弄ぶ博物学――リンネはなぜ乳房にこだわったのか?』工作舎)※本文では原著が1993だが本書の出典では1995となっている。原著は初版が1993年なので、1995とは初版でない版を指しているのではないかと思われる。
*14:筆者注、加藤はこの命題のジェンダー的な規範性を強調している。
*15:Hrdy, S. B., 1981, Woman That Never Evolved, Harvard Univercity Press.(=1982、加藤泰建・松本亮三訳『女性は進化しなかったのか』上・下、早川書房)
*16:Miller, G., 2000, The Mating Mind, Doubledy.(=2002、長谷川眞理子訳『恋人選びの心――性淘汰と人間性の進化』1・2、岩波書店)
*17:江原由美子、1988、『フェミニズムと権力作用』勁草書房
*18:Beauvoir, S. de, 1949, Le Deuxième Sexe, Gallmard.(=2001、『第二の性』を原文で読み直す会訳『第二の性』1・2・3、新潮社
*19:Arendt, H., 1958, The Human Condition, Univercity of Chicago Press.(=1994、志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房)
*20:筆者注、「本質的に」に加藤による傍点
*21:Bultler, J., 1990, Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity, Routledge.(=1999、竹村和子訳『ジェンダー・トラブル』青土社)
*22:加藤秀一、1998、『性現象論――差異とセクシュアリティの社会学』勁草書房
*23:表記から見て2001は加藤っぽいが本書の出典には見当たらず。