イベント概要
日時:7/11(月) 17:00~19:00
会場:横浜国立大学 メディアホール
主催:横浜都市文化ラボ
URL:http://y-labo.wix.com/home#!event/ch6q
同じ勉強会の後輩の子に車をお願いして浜松から保土ヶ谷まで日帰りで。
メモ
以下メモより抜粋(※発言そのままでない意訳を含みます)
(以下、室井=室井 向氏、吉見=吉見 俊哉氏)
室井:大学問題を社会が関心を持っていない、学生や教員の側から情報発信して共有する場も無い。だからこういうイベントを開いた。
(吉見先生の講演スタート)
吉見:野口さんの要約(http://y-labo.wix.com/home#!blank-17/q02zj)が完璧。
30秒でわかる『「文系学部廃止」の衝撃』!!
①2015年に話題を呼んだ「文系学部廃止」はマスコミが誇大に解釈した論だが、廃止も検討に入れた文系学部の縮小は以前から「ミッションの再定義」として存在
②吉見先生のスタンス→文系学部は既存の価値を見直すという意味で、「役に立つ」!
③じゃあ文系学部を復活させるためのアイデアは?→
⒈文理問わず専門科目を2つ履修する「宮本武蔵の二刀流戦略」
⒉18歳、30代前半、60歳前後の3回大学に入る
吉見:室井との共通点は、
吉見:相違点は、
- 文理融合の評価
- 人文科学は「約に立つ」と言ってもムダ(室井:正攻法で主張しても文科省は認めてくれないだろう)
吉見:
- 報道の虚実について、10数年の流れで考える必要性がある。
- 一般社会に、理系は役に立ち、文系は役に立たない、という通念が蔓延。
- 文系は役に立つ。長期的に効果がある。中世では神学が最も役に立つとされた
吉見:「役に立つ」とは
- 目的に対する手段として「役に立つ」こと=目的遂行的(=手段的有用性)
- 目的・価値を創出することで「役に立つ」こと=価値創造的(=価値反省的)
- ⇒価値創造的:変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる力。
吉見:甲殻類化した大学から脊索動物への進化。
- 殻を越えるのは大変。殻が硬いと、入学も大変だし、就活も大変。
- いきなり殻を脱ぐとナメクジのようにすぐに塩にやられて弱い。
- ホヤ、ナメクジウオのように、神経系を通して大学が壊れるのを守る。
(室井先生と吉見先生の議論スタート)
吉見:
人文科学は「役に立つ」ことについて
- 役に立つとされる期間が短くなっている。
- 長いスパンで考える社会にしないと。
- 大学は役に立つから中世から存在できた。
- 敗北主義になるべきでない。
「人生で3回大学に入って2専攻学べる」未来の大学構想について
— 大企業によるエチオピア農家搾取の実態 (@suneo3476Doc) 2016年7月11日
- 芯が通っていて、構造化されている。
- 学部、院、両方考えている。
- 興味があれば2つの専攻、専門が学べるように。
- 文系と文系、文系と理系、理系と理系すべてありえる。
- ヨーロッパの大学はフンボルト型。研究と教育の一致。学生と教師が一緒に知識を生んでいく(=院)。アメリカの大学は2層モデル(カレッジ)。
- 日本の大学は戦前は少数精鋭型で、戦後はカレッジの仕組みを輸入した。今仕組みがぐしゃぐしゃ。だから大学とは何かがわからない。学部はカレッジ、院はグラデュエートスクールで。
それぞれ室井先生の反応
- ちっちゃくなることは反対ではないが、させられるのは嫌だ。
- 京大の篠原資明氏の軟体構築論より、「タコみたいに生きるのが美しい」
- アマチュアリズムが隙。プロは不自由。専門と言われると、そうじゃないと言いたくなる。
- 異質の知の形として、もう一回教養教育を立て直せないか。
フロア質問ターイム
東大4年Sさん:リソース配分の視点から見てはどうか。なぜお金を落とせるのか。定員、大学の数。
吉見:大学は構造改革が必要。国家とわたり合う価値の大学を作るというスタンス。視点が異なる。
経営学部の教員:人文科学って民主主義に必要という考え方はどうか。民主主義はギリシャ哲学から来ている。
吉見:(言いにくそうに)国家はそう思っていないかも。もっと普遍的な価値…地球社会の維持とかそういうレベルで。
室井:ぼくらは啓蒙を信じている。人文、ヒューマニティーが通じなくなってきている。
三浦:長い目で役に立つ戦略が弱い。単位の問題で、1億人でなく、100人に役に立つように。例えば地域レベルで。
(質問としてどういう落とし所になったか記憶を無くしたが、好きな視点なので掲載)
横国大2年Kさん:どこに向けた戦略なのか?政府?企業?市民?
吉見:「理系は役に立つ、文系は役に立たない」という、通念がある。私はそれを正しくないと思う。その社会通念を持っている人に対して。企業の人間、国の役人、父母にあたる。
マルチメディア学科卒、情報学環西垣研ゼミ生:(文理融合の環境で)いい経験をした。理系も役に立たないことがある。会社に入って役に立つわけでない。理系が役に立つという論に危うさがある。
吉見:日本の大学は学生の視点が欠けていて、先生の立場から見がち。進路を後で知ると、自分の教えたことは間違っていなかったという気持ちになる。
最後、新潟大学4年の西村さんによる現状報告
西村さん:「当たり前だと思っていた学問が無くなっちゃうことがある」
感想
- 静岡大学総合科学技術研究科には副専攻制度が存在するが、身内で実際に制度を利用している人がいるかどうかはわからないし聞いたことがない。研究科全体がほぼ理系のため、吉見先生の構想するものよりも随分理系への偏りが生じているが、それ以前の問題として制度の周知と推進には改善の余地があると感じる。(https://www.shizuoka.ac.jp/subject/graduate/stg/index.html)
- 室井先生が言及していた理工系の累進的なカリキュラムというのは、情報学部情報科学科、計算機科学コースのカリキュラムにも当てはまる話であるし、2専攻の壁でもあると思う。室井先生が触れた教養教育の復活はその壁を壊さないアプローチであるが、もうひとつの「壊すアプローチ」として、学生側からのカリキュラムの再デザインという仕方もありうると思う。いわゆるFD的な大学評価を、学生が主体的に関わっていくやり方はどうだろう。いる科目、いらない科目を直感的に選んでいく。コンパイラとOSを作るというゴールはそのままで、どういう再設計が可能か、学部4年以上の学生に考えさせてみるのは面白いのではないか(正直、今の学生に大学制度を変えるという発想が生まれにくい部分に違和感がある)。
- イベントへの雑感。授業の一環? だからか学生の参加者多し。講演会といっても室井先生と吉見先生の対談に堅苦しさは感じられず、リラックスして話を聞けた。フロア側からも比較的学生からの質問が多かった。学生側が引いているとか、奥手だとかそういうんではない、情報学部とは異なる空気感だった。こういったイベント慣れしているからだろうか? うちの情報社会概論のようなシンポジウムに近いかもしれないが、あれは学生側に堅さが残っている印象。
ばばっと書いた。終わり。