ゆうべ,ダーツが遊べるネカフェでダーツセット一式を購入した。今朝は9時過ぎに起きて,10時過ぎから12時過ぎまでダーツを打った。1年ぶりくらいに打って,カウントアップの練習でハイスコアが454(クラスがB8)だった。後輩氏によれば,まずまずという評価だそうだ。とりあえず,ミスを完全に無くすこと,なるべく中央を狙って当てること,先に打ったダーツに対して相対的に位置調整を図るのではなく,絶対的な投擲感覚を習得することを第一目標にした。3つ目は継続性が重要になってくる。ブラインド・タッチや目隠し演奏に似た作業なので,そのうちできるようになるだろう。思ったよりも全身を使う運動であり,バテそうになりながらも練習を終えた。
12時45分から自主ゼミだった。ハッカー集団「アノニマス」の評価と,インターネットにおける情報モラルについてがテーマだった。発表者は以前某セキュリティ系企業のCTFイベントに出たらしく,セキュリティに隣接した話題として関心があったそうだ。ここではほんとにざっくりと感想を述べると,彼らの活動は人ではなくコンセプトで駆動しているので,リーダーが欠けてもメンバーが自己増殖して持続的な運動体として活動が継続できるタイプの組織であると思った。
ISILやSEALDsみたいな。あと,彼らの活動にはもちろん違法性は指摘できるし,民主主義的な理論からいけば秩序を破壊するリスクも持っていて正当性のないものであるけれども,自由主義における「愚行権」の考え方を信奉する自分からすると,法秩序や国家秩序を前に思考停止しているかのような印象を,どうしても持ってしまう。じゃあ彼らはそこで何を自覚すべきかというと,秩序そのものの存在である。日本で表現の自由を規制する可能性のある法律が成立したときにアノニマスが霞が関と間違えて霞ヶ浦を攻撃したというあざとい間違いは記憶に新しいけど,その攻撃は法秩序の存在を無視したものではないはずだ。そこで自分が注目するとすれば,アノニマスに対する何らかの制裁に対して,彼らがどのような態度をもって構えるか,という点だろう。「いや,知らんし」とか言い出したら自分は見捨てるつもりだ。
後半の話題は,SNSで知った他人の情報を勝手に第三者に伝えること,スマホを恋人同士で見せられるか,家族ではどうか,といった身近な質問の投げかけと意見交換が行われた。総じて,個々人に対する配慮が通底していますよね~,というまとめ方で落ち着いたけど,どうすれば議論をもっと盛り上げられたんだろう。あ,大学生活板の弊学スレにFacebook晒した人間,今出てきたら許したるで。はよでてこい。
14時25分からは,珈琲研究会のミーティングで,文芸大とのコラボや弊学の大学祭の出展について話合いが行われた。このへんは,割愛。その後,メンバーがエスプレッソマシンを自宅から運び出して,エスプレッソ,カフェモカ,カプチーノ,シェケラート,その他チョコレートやキャラメルやシロップを用いたアレンジを試しながら試飲させてもらった。こんなに美味しいエスプレッソは飲んだことがなく,お志として500円をスッ…とした。すごすぎないか後輩氏。その後水腹になってちょっと大変だったけど,それを上回る満足が得られた。ともかく大学祭が楽しみである。
大学祭で計画しているカフェは,公共というコンセプトについて来場者に関心を持ってもらうための工夫が必要だと考えている。われわれはお金を取らずにコーヒーを提供しているので,もし提供が遅くなったとしても別に来場者に対して平謝りする必要などない。むしろ,あなたもコーヒー作るの手伝ってよと言って淹れ方を教えながら,カフェ活動に対する参加を促してしまえばいい。公共空間の実現において重要なのは,サービス提供者と客というメンタリティを破壊することにある。同じ空間に,一方的に恩恵を受け取る者と与える者が居続けるのは,果たして公共的だろうか? これは,学術的な場という文脈を取り払ってもなお,同じことが言えるだろう。11月3日(木・祝)に静岡で行われる「哲学カフェ」は,専門家だけでなく市民や高校生も参加するそうだ。この意味で,われわれが指向するのはカフェというよりは公共空間の形成であり,カフェとはひとつの手段として見ることができるだろう。
あとはB3ゼミの資料をまとめていた。後日整形して公開する,と宣言しておく。
ところで,アニメの感想文で作品に触れるとき,いちいち媒体と発表年について触れるのには理由があって,あらゆる作品について語るときの個々の持つ時間的な側面を見失うことにかなりの不安を感じることが原因だ。もちろん,読者に対する配慮ではなく,紛れもなく自分への配慮であるので,読者は読みにくいなどと怒っていい。自分はむしろ安心感を得て喜んでいるので頓着のない態度を取り続けるつもりである。
2016-10-27(木)おわり。