かすてらすねお。

見聞録的ななにか。

思考の整理学@外山滋比古 前半戦I,II

を書こうとしたんだよ。で、章立てがIからVIまであってさ、じゃーIからIIIまで読んでなんか書くかーつって読んで書こうとしたんだよ。ちょうど3章分で前半だからさ。そのつもりがこんなエントリ一本書いてしまってた。良い感じだったから結果オーライだったけどね!

 

著者

 外山滋比古、1923年愛知県生まれで英文科卒。思考の整理学を書いた1986年当時はお茶の水女子大学教授だった。現在も生きてらっしゃり89歳とご高齢。日本語にガチとまではいかず真剣な人っぽい。

本の構成

 I II III IV V VIの六つの章から成り立ち、それぞれ3~7の節がある。

内容のベクトル

 当時大学に勤務していたのもあるのか、論文の書けない学生について話題を出すことが多く、I~III章まで読んだ印象を平たく言うと知的生産活動のヒントだったが、背景に置いているのはやはり論文や研究の方法論なんだと思う。

 「論」とボクが勝手に言うものの、すごく読みやすいから安心していい。高校生の時点で読んどきゃ良かったぜチクショー!(しかし、高校生の自分にいくら力説しても伝わらないだろう。なぜなら、当時の自分に研究や論文の根本的な意味は理解できないからだ)

I、II、IIIとやっていくと大まかすぎるので、節ごとに要約を試みる。

< I >

グライダー

 人間の学習能力をグライダー能力と飛行機能力という比喩で説明している。受動的に学ぶ能力と自発的に学ぶ能力のことであり、日本の学校では前者を作っていて、グライダーとして優等生でも論文で詰むのは飛行機能力がないから。ただし、既存の体系的な知識や型の吸収にはグライダー能力が必要だし、新しい文化を切り開くには飛行機能力が必要なので、両方のスキルを持ちたいところ。

不幸な逆説

 学校の無い時代の塾や道場ではどうしていたかというと、まったく関係無いことをやらせて、学習者の「早く知りたい」を刺激する。そうしている間に門下生は師匠の技を盗めていることもある。こうしてその道の一流に相応しい人物が出来上がっていく。今のグライダー人間を養成する学校ではこの真逆である。

朝 飯 前

 夜に書いた手紙を朝読み直すとまったく印象が異なるのは、夜と朝で思考能力が異なるからであり、「朝飯前」という言葉も朝食を摂る前がよっぽど仕事ができるという知恵かもしれないという推測がなされている。しかし現代人は朝食を作れるほど暇ではないので、筆者は朝ごはんを抜き、ブランチまでが朝飯前だと言い張って20年間実践しているそうだ。仕事をするなら、夜より朝。

< II >

発   酵

 考える素材がいくら豊富でも、その場で結論が生まれるわけではない。どんなに美味しいお酒でもゆっくり寝かせておくことが必要であるように、集めた素材をゆっくり寝かせておくことでヒントやひらめきが生まれる。火にかけた鍋をずっと眺めていても煮えはしないということ。素材を集めた日付と発酵が終わった日付を記録しておけば、自分が大体どのぐらいの発酵スペックがあるか把握できるかもしれない。

寝させる

 夜にいくら考えてもダメだったものが、朝にやってみたらすんなり分かったということがある。とりあえず一晩寝て考えるとうまく解決することがある。なかなか結論が出ない物事も、無理に努力するよりも時間を与えてあげるとよい。努力すればなんでも成就に繋がるというのは間違っている。無意識の時間は思考の良いえさになる。

カクテル

 ある作家の女性の書き方について調べるとA, B, C, Dの四つの説が出てきた。自分の節はXで、しいて言うならB説に近いとする。では、A,C,D説を否定しつつBを引き合いにXを主張すれば良いか?違う、それはただの「ちゃんぽん酒」で適当に混ぜた酒である。うまい酒は、調和を図ることで生まれる。B説を軸にA,C,D説をもってくるならば、A,C,D説のうまみを適度に参照して、新しい調和を作るのだ。

エディターシップ

 同じ知識でも、並べ方によってまったく異なる意味合いが生まれる。それ単体での知識と、知識と知識を組み合わせた全体のなかの部分としての知識では性質が違うだろう。自分の書いたもの単体が第一次的創造なら、それらをまとめたのは第二次的創造である。特に全体として貫徹したメッセージを掲げなくとも、並べ方は能力の一つである。詩のように、似たような言葉でも並べ方ひとつで与える印象が違うのと同じである。

触   媒

 知的創造行為は、必ず既存の素材を用いることになる。そうしてできた新たな作品には個性が現れるが、個性の主張に気を取られると何も生み出せない。なぜなら、それは無から有を生み出そうとしているからだ。第二次的創造とは創造の触媒であり、触媒となる自分は成果物そのものに露出などしない。しかし、その結果には間接的に個性が現れる(エディターシップを前提にした節)。

アナロジー

 ある疑問について、他の現象を手がかりにして当てはめてみることで解決できることがある。文字列の羅列である文章に連続性を感じるのはなぜかという疑問を、アニメーションの原理に利用される人間の眼の残像を手がかりにして、文章を読む時には記憶の残像が発生している。筆者はこのような例を挙げてアナロジーを説明している。物事をある程度具体的にイメージするための比喩もまた、アナロジーの一種といえる。

セレンディピティ

 何かの作業をやろうとしていたのに、別の作業に寄り道してしまい、案外それが熱中してしまう経験は誰にでもあるかもしれない。主に試験勉強期間などに。何か物事を考える時、対象の中心ばかりを見ていても着想にこぎつけられない。そんな時は周縁部に視点を移してやる。いったん対象の観察を寝かせておくのである。そこから思いもよらない発想が生まれるかもしれない(その産物がひとつ前のエントリ)。