11時に二度寝して12時17分に起きたのをはっきり覚えている。12時45分から自分の企画した映画鑑賞会をやるのを思い出して家を飛び出した。着いたのは13時だった。実際に始まったのは13時20分くらいだったと思う。
その報告を書いていたので,貼る。
伊丹十三『スーパーの女』鑑賞・座談会
【1】進行
12:45 主旨説明
13:00 上映開始
15:15 休憩しつつ座談会
15:50 まとめ
【2】主旨
2000年の雪印事件以降に高まった食の安全や食品偽装という
テーマを伊丹が3年前に取り上げた映画が『スーパーの女』です。
コメディ作品しても仕上がっているこの作品を通して,作品の中で
取り上げられている問題は何か,意見を交わしてみましょう。
【3】この映画について
『スーパーの女』 1996年 2時間7分
監督脚本 伊丹十三
主演 宮本信子
『スーパーの女(スーパーのおんな)』は、1996年の日本映画。伊丹十三による脚本・監督作品。原作は安土敏の「小説スーパーマーケット」。
スーパー大好き主婦が幼馴染の経営するダメスーパーマーケットを立て直していくというサクセスストーリーである。
伊丹十三にとっては前二作(『大病人』『静かな生活』)が興行的に失敗に終わったため、「この映画では失敗が許されない」と覚悟をもって臨んだ作品であったが、結果的に大ヒットを記録した。第20回日本アカデミー賞優秀作品賞などを受賞。
(Wikipediaより)
【4】記録
○参加者
すねお含め5名
○感想,コメント
・食の安全,食品偽装という大きなテーマを扱い,人々の怒りや悲しみの感情のぶつかる重いシーンが登場するが,解決に向かう清々しさやスカッとする感じによって問題に没入しすぎないようになっている。
・副店長の井上花子と専務の小林五郎の掛け合いがとても自然で,その自然なコミュニケーションのなかから笑いが引き出されていくのが,この映画の特徴。いかに笑いの場が作り出されるかで考えると,ステージ上で行うコントとは違うやり方がされている。『LIFE』(NHK,2012~series4放送中)や『笑う犬の冒険』(フジテレビ,1998~2003)とも違う。メンバー曰く,吉本新喜劇とレッドカーペットの中間くらい。
・この映画では困り者(社長と精肉課)は完全に追放されたが,ガバナンスという面で考えると現実の組織では追放したくても追放できない困り者な人は存在する。また,劇中では花子が説得に説得を重ねて魚職人をなんとか納得させたが,そもそも対話が成立しない人の存在も現実には考えられるし,上からの改革でクビにしても本人はきっと納得行かないだろう。そういう人々との合意形成はどのように達成していけばよいだろうか?
○すねおの考察
・前日の売れ残りを再びパックしてパックした日付をつける「リパック」という行為が「商売の知恵」などと言われていたが,実態としては詐欺だった。これは店の利益のための情報化に過ぎず,客の安全のための情報化ではない。映画の情報を下調べして知った「食の安全」という言葉を念頭にこの映画を観ていたが,「食の安全」を保証するのは消費者側にとって商品が適切に情報化されているかが重要だと考えた。
この映画では,商品の情報化をめぐって,食品スーパー側の倫理的な態度が問題にされている。ポイントは,現場で働くパート主婦の「子供に説明できるか」や,「自分の店で買い物ができるか」といった声にあって,つまり,安心や安全というのは客だけに限った話ではないという発想ができるかどうかなのだと思う。
【5】次回
○本木克英・監督の『超高速! 参勤交代』(2015)
○岡本喜八・監督の『日本のいちばん長い日』(1958)
の2本のリクエスト。後者は手元にある。前者は借りなければならない。
期日,プログラムなど予定は未定。
『スーパーの女』1996年,監督脚本:伊丹十三,主演:宮本信子,津川雅彦。コント番組的な笑いを指向する芝居ではなく,芝居を指向した笑いで,食品スーパーの重い問題を重くしすぎずに問題提起したコメディ。マンパワー頼みの合意形成にもう少しシステマチックなやり方を求めたくなるが,(続く)
— すねお @ 秋季例大祭 か-08ab (@suneo3476Doc) 2016年10月20日
(続き)現実の成功する合意形成ってほとんどマンパワー頼みなのかも。システマチックな手順通りにやっても,たぶんそれじゃみんな納得できない気がする。きっと抜本的な経営改革とか言ってさ。それが店長の追放されない世界線だろうけど,自分はこの作品の世界線がいいな。
— すねお @ 秋季例大祭 か-08ab (@suneo3476Doc) 2016年10月20日
映画会終了後はセンセイが来て,どういう話の流れだったか忘れたけど三浦俊彦氏の『虚構世界の存在論』について語り始めた。可能世界の意味論をめぐって,パラレルワールドを跨ぎながらいくつもの可能世界を考えることができるとするのがクリプキの可能主義であるのに対して,あくまで人間が観測できる範囲で可能世界を考えることしかできないのではないかというのがルイスの現実主義であるそうだ。途端に『うみねこのなく頃に』を思い浮かべたけど,素人考えなので特に話題にはしなかった。こうした議論は60年代に始まったが,この半世紀はウィトゲンシュタインで止まっているのだそうだ。そして10年くらい前には言語哲学が流行り,なんとそこにはあの香山リカも顔を出していたそうだ。
そうそう,本棚の整理をしていて,どうせ書くならいい本残したいよねとセンセイが言いながら,10年掛けて書いたという『ウィトゲンシュタインのはしご』を取り出して,『虚構世界の存在論』がすねお(センセイは「すねお」と呼んでいる)にとって面白いよと言いながら,可能世界について解説してくださったんだった。

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その後はセンセイが太陽神を降ろしたそうにウズウズしていたので,3人・4人対戦で2戦お付き合いした。初戦はあっという間にラーが消えて,2戦目は3個の駒の使い所に頭を悩まされた。ひとつわかったのは,駒が少ないほど,文明とファラオは確実に抑えつつ他のボーナスを狙っていくのが肝要だということ。また太陽神のプロに一歩近付いてしまった。
その後は後輩氏のプログラミングの課題に付き合った。プログラミングを教えたり学んだりするのはたいへんだ。個々の知識を辞書的に覚えた上で,目的の処理を理解したり実装したりするために体系的に結びつける,たいへんダイナミックな知的操作が必要になるからだ。
1行の命令文を理解するために必要なことです(佐々木さんに教えていた) pic.twitter.com/rHwf7w68HA
— すねお @ 秋季例大祭 か-08ab (@suneo3476Doc) 2016年10月20日
Twitterではあかさた氏と黒タイツの話をして,また短デニムパンツに黒タイツを履きたくなってきた。以前はスカートだったけど,あれはスポーティーな恰好に不向きなのでやめた。
先程,課題の提出が終わったそうで帰っていった。ボクも日記を書き終わりに近付いたので帰る。なぜなら明日は8時40分の1コマからB3ゼミに出席するからだ。
2016-10-20(木)おわり。